天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句と短歌の交響(8/12)

梅里書房刊

詞書としての俳句
俳句を詞書にしている短歌は、読者にとっては、先ず俳句を読み、その内容に感応して短歌ができたと思って、短歌を鑑賞するのが通常であろう。ただ、実際は、短歌の方が先にできて、後からその内容と響き合う俳句を詞書に配することも有り得る。この点、作品を解釈する際には、留意しておく必要がある。
 現代になって、意欲的に俳句を短歌の詞書にした歌人岡井隆藤原龍一郎がいる。他の俳人の句をもってくる場合と、自身の俳句作品をもってくる場合とある。前者の徹底した例を藤原龍一郎の歌集にみることができる。『楽園』(2006年刊)では、三橋敏雄の十句集から、全部で百句取り上げて、それぞれに短歌を当てているし、『ジャダ』(2009年刊)においては、林田紀音夫、戸板康二赤尾兜子 等の句集からとっている。 以下では、歌集『ジャダ』―鬱王― の場合について、俳句と短歌の交響をみてゆくことにする。二十組あるが、内四組について鑑賞する。
藤原によれば、「鬱王」一連は、赤尾兜子の俳句作品(『歳華集』)に対する反歌であるという。つまり短歌の部分は、俳句の意を反復・補足し、または要約する働きをする。更には、兜子への心寄せであり、俳句作品へのオマージュでもある。
 ちなみに、藤原は若い頃に赤尾兜子に師事して前衛俳句を学んでおり、藤原月彦の名で『貴腐』という句集を出している。
  雲とも素ともならぬもずくを煮る男     兜子
  詩に痩せる男であれば瓦斯の火の蒼さも虚実皮膜と思え
                    藤原龍一郎
 俳句は、どうにもならないテーマに頑なに拘っている作家の姿を象徴しているようだ。短歌の方の、虚実皮膜とは、事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論。詩作に痩せるほどの努力をしている男であるので、瓦斯の火の蒼さにも虚実皮膜を思え、と自分を激励している。
  去来忌の抱きて小さき膝がしら       兜子
  蛇の屍と虚像の影と孤立する詩魂に拠りて韻文の謎
                    藤原龍一郎
嵯峨野落柿舎の裏の「去来」とだけ彫られた三十センチほどの小さな石が、去来の墓である。俳句の「抱きて小さき膝がしら」は、兜子自身のことを詠んでいるのだが、去来の小さな墓石を思うと生前の去来の姿を形容したとも思える。これを歌の方では兜子の「孤立する詩魂」と受け、それに拠って作られた句集『蛇』『虚像』に見られる韻文の謎に思いをはせる。
  死顔に捧ぐ寒花の赤を憎むわれ       兜子
  若き獅子死に急ぎたり前衛の虚妄を撃ちて生き急ぎたり
                    藤原龍一郎
短歌は、死顔の主を、前衛の虚妄を果敢に突いて若死にした作家に想定したもの。三十一歳の若さで1973年12月16日に急逝した中谷寛章のことであろう。赤尾兜子の元で「渦」の編集長をしていた。俳句の意味も自ずと明らか。
  大雷雨鬱王と會うあさの夢         兜子
  鬱王に魅せられしゆえ恍惚と苦痛と俳句思う泪と
                    藤原龍一郎
兜子は鬱病に苦しみ自死したといわれている。それ故か兜子の忌日を鬱王忌と呼ぶ。俳句は、兜子の或る日の情景であり、歌は、そうした俳人への心寄せである。
 以上それぞれの鑑賞は、赤尾兜子の人生や人間関係をある程度知っていることを前提としている。藤原龍一郎の短歌作品を解釈する際には、こうした知識を必要とする場合が多い。