天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句と短歌の交響(9/12)

思潮社から(4巻あり)

後回しになってしまったが、現代短歌の詞書の先駆者である岡井隆の場合について、俯瞰しつつ多くの例を見ていくことにしよう。岡井隆の歌集で、俳句を詞書にした歌が最初に現れたのは、歌集『人生の視える場所』(1982年刊)の中の「2.趨る家族」であった。この歌集では、詞書を大胆に用いるのみならず、巻末には自注が付されているので、詞書や歌のつくられた背景を知ることができる。一例を紹介しよう。
  夏の雨きらりきらりと降りはじむ        草城
  頸(けい)椎(つい)を内よりひらき髄を見るあはれなる生や
  かくのごとき死や             岡井 隆
岡井の自註には次のようにある。
「・・・ある夏の朝の病理解剖室での仕事―これもわたしのDutyであるが―のスケッチ。(日野)草城の句に代弁させたのは、おそらく、雨が降り出したからであろう。・・・」
 以降の歌集においても岡井隆は、頻繁に短歌の詞書に俳句をつけている。両者の間に直接の関係がない組合せもある。例えば、短歌を作った時期、たまたま正岡子規について考えていたので、子規の句を詞書にした、という。
以下では、意図的に組み合わされたと思われる俳句と短歌の一連を持つ歌集からいくつか例をとりあげてみていこう。どのような交響があるのか、すでに見た他の歌人俳人の例と違ってギャップが大きく難解な場合が多い。
歌集『神の仕事場』(1994年刊)「死者たちのために」一連から。
  来し方や東西南北ただ遠樹           苑子
  父母(ちちはは)の墓にまうでて父のみに申す 頽れゆく大魚の日々を
                       岡井 隆
中村苑子の句は、来し方のどこを振り返っても、ただ遠くの木を見るような思いだ、という感慨。短歌の方は、来し方のうち「頽れゆく大魚の日々」につき、墓参で父に報告している。「頽れゆく大魚」とは、衰退してゆく結社アララギ(1998年に解散)のことと解釈できる。岡井隆の父母は、アララギ歌人であり、隆もアララギから出発した。
  胸ふかく鶴は栖(す)めりきKao Kaoと      鬼房
  部屋すみにかをるくわりんや遺歌集を編むなら今だ その今も過ぐ
                       岡井 隆
俳句は、佐藤鬼房の胸に棲みついて影響を与えた今は亡き誰かを指している。歌は俳句のオノマトペ「Kao Kao」を、「かをるくわりん」と受けて、亡くなった歌人の遺歌集を、急いで編集しなければ、という思いに転じている。
  密着の枇杷の皮むく二人の夜          狩行
  卓上にめがねを置きぬなに故に置きしや盲(めし)ひつつ抱かむため
                       岡井 隆
鷹羽狩行の俳句も岡井の短歌も、男女の仲睦まじくエロチックな夜の時間を詠んでいる。俳句の情景の後に、短歌の情景が続くように歌を作ってある。