天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句と短歌の交響(10/12)

歌集『大洪水の前の晴天』

歌集『大洪水の前の晴天』(1998年刊)「与謝ノ蕪村賛江」一連から。
  〈人の世に尻を据(す)ゑたるふくべ哉〉      蕪村
  東より風ふく朝は窓明けて酔生スレド夢死ヲネガハズ
                        岡井 隆
与謝蕪村の俳句は、瓢箪の安定した形状が俗世に開き直って生きているように見えたということで、瓢箪の擬人化。顔回の故事・箪食瓢飲(竹の器に入れた飯と、瓢箪の器に入れた水。粗末な食事、清貧な生活のたとえ。)を踏まえるらしい。岡井の短歌は、朝に目覚めた顔回の行動とつぶやきを叙したものと解する。
  〈泊る気でひとり来ませり十三夜〉        蕪村
  老醜はこころよく吾(あ)を慰めつ西瓜喰み居りたね噛みくだき
                        岡井 隆
歌の西瓜を食べている人は、句の泊る気で十三夜の月を愛でようと訪ねて来た老人を指しているのであろう。その姿から老醜も決して不快なものではないな、と感じた。
歌集『臓器』(2000年刊)「わたしの会つた俳人たち」一連から。
さみだれを集めて早し最上川  芭蕉〉のアクロスティックとして、十七首とそれぞれによく知られた俳句の詞書を付けた。アクロスティックとは、折句(おりく)のこと。十七首の短歌の初字をつなげると、芭蕉句になるという趣向。以下では、三例のみ鑑賞する。
  かもめ来よ天金の書をひらくたび       三橋敏雄
  つくゑありとても簡素な椅子二つ俳句の死ぬまで話さうと思ふ
                        岡井 隆
「天金の書」とは、上方の小口に金箔を貼り付けた洋装本。俳人・三橋敏雄は、二十数年間、運輸省航海訓練所練習船に乗って、遠洋航海などに従事した。句と歌の情景は、三橋の事務長船室でのこと、と解する。
  少年来る無心に充分に刺すために       阿部完市
  判断をして後迷ふ一本の杭のあたまのあかあきつかな
                        岡井 隆
句は、安保闘争時のテロ事件を背景にしていよう。歌の方は、刺客となった少年を「あかあきつ」に転じて、心象と風景を詠ったもの。
  愛されずして沖遠く泳ぐなり         藤田湘子
  みんなお前がわるいのだつたくろがねの門のとびらの前に立つとき
                        岡井 隆
句は、作者・湘子が、師の水原秋桜子から冷遇された一時期の心象風景である。歌はそれを受けて、湘子の当時の姿を想像させる仕組み。