天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌に詠む人名(4/7)

岩波文庫

江戸末期に良寛が詠んだ和歌には、良寛自身の名前が詠まれている。『良寛歌集』から。
 良寛に辞世あるかと人問はば南無阿彌陀佛といふと答へよ
 このうちはおくりし人は誰びとぞ松の下いほ橘の巣守
 君をわれ僅かの米ですんだらば両くはん坊と人はいふらむ

最後の歌は、しゃれである。
良寛の後に出る橘曙覧の例をあげる。
 いざ来ませ 通雄が家は 酒もあり あるじにこひて 
 飲みて別れむ

 人麻呂の 御像(みざう)のまへに 机すゑ 灯(ともしび)かかげ 
 御酒(みき)そなへおく

 おのがわざと 曙覧一人(ひとり)は ひとみちに歌なほしをる 
 手も動かさで

 うけばりて 世に氏(うぢ)の名を よぶことを許し給ひき 
 河野氏(かうのうぢ)の家

明治になって短歌革新運動を推進した正岡子規は、和歌の流れを受け継いで、佐保姫、玉津嶋姫、伊久米伊理毘古、梅若丸、桃太郎といった神話や伝説上の人物や、五右衛門、清盛、項羽劉邦といった歴史上の人物の名を詠む一方で、同時代の実在の個人名をかなり短歌に詠んだ。
 淵明の詩を讀みやみて菊の根にひとり土かふ日は夕なり
 人丸の後の歌よみは誰かあらん征夷大将軍みなもとの實朝
 アメリカの船のりミラー横浜に人を殺すといふ事何なり   
 正ちやんを誰やらに似ると思ひしはラフエルがかきしマドンナの耶蘇
 春の夜の衾しかんと梅の鉢も蕪村の集も皆片よせぬ
 日の本の陸奥の守より法の王パツパポウロに贈る玉づさ   
 原千代子きのふ来りてくさぐさの話ききたりかすてら喰ひつつ

外国人を含め、個人名を自由に詠み込んでいる点が目新しい。ただ四首目は、明治三十二年七月に起きた殺人事件を知って、十月の歌会で詠んだものだが、詳細が不明だったか、無内容。また、七首目は、慶長遣欧使節を詠ったものだが、「法の王」はこなれない言葉であり、「玉づさ」という歌語は古色蒼然、一首としてぎこちない。