天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌に詠む人名(6/7)

藤原龍一郎歌集(砂子屋書房)

藤原龍一郎は、芸能人(ロマンポルノ女優、お笑い芸人、歌手など)、プロレスラーやマンガの主人公を数多く詠んだ歌人として特異といえる。時流に乗って泡沫のごとく現れ話題になりやがて消えていった芸能人やプロレスラー。今となっては、若い世代がほとんど知らない人たちである。彼等を詠んだ短歌は、時代を経ると理解不能になる。例を二首。
 そののちの谷津嘉章の人生も雨に変色する紫陽花も
              『夢みる頃を過ぎても』
 ナンセンス! されど東京エマヌエル夫人の田口久実と
 名のれば             『東京哀傷歌』


藤原は不易流行の流行に短歌の命を賭ける実験をあえて行った。得意とする言いさしの技法が、寄る辺無さの情感を助長している。なお、この技法と短歌様式が不易の部分。
斎藤茂吉塚本邦雄、小池光、藤原龍一郎の四人がそれぞれ人名を詠んだ特徴ある歌を一首ずつあげよう。
 ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日
 おもほゆ               斎藤茂吉『赤光』
 雉食へばましてしのばゆ再た娶りあかあかと冬も半裸のピカソ
                  塚本邦雄『緑色研究』
 イチローが三割二分に到達し本領安堵のごときおもひす
                     小池光『滴滴集』
 ああ夕陽 あしたのジョーの明日(あした)さえすでにはるけき
 昨日(きのう)とならば
             藤原龍一郎『夢みる頃を過ぎても』


次にこの四人が共通に詠んでいるヒットラーの歌を比較してみよう。
 ヒツトラのこゑ聞きしとき何か悲し前行(ぜんかう)したりし樂(がく)
 も悲しも                斎藤茂吉『白桃』
 孤りなるわれはも憶ふヒトラーの最期と涸れ果てし那智の瀧
                  塚本邦雄『約翰傳僞書』
 くろぐろと滅びてゆけるヒットラー機甲師団のつひに悲しいも
                  小池光『時のめぐりに』
 ヒトラーもわれも異界の黄昏を想う一人の誇大妄想狂(メガロポリス)か
             藤原龍一郎『夢みる頃を過ぎても』


たまたまではあるが、茂吉と小池、塚本と藤原の情感が似かよっている。次は、三人が共通に詠んだ例を。
 モナ・リザの唇もしづかなる暗黒にあらむか戦はきびしくなりて
                   斎藤茂吉『のぼり路』
 モナ・リザにかかはりし男數人をあはれみつ梅雨寒(つゆざむ)の朝焼
                     塚本邦雄『豹變』
 モナ・リザの背景にして昏みつつあふれたる水のゆくへ知らずも
                       小池光『廃駅』


モナ・リザの絵を見て、各人が思ったことがよく分かる。茂吉の歌には時代背景が滲む。