天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鳰と狼(6/11)

太平洋戦争の戦場

句風比較
この章では、同じテーマ・題材に関して詠んだ二人の句風の違いをみてゆく。全般的には、澄雄の文語正調有季旧仮名遣い、兜太の変則文語破調無季あり変則新仮名遣い、ということになる。兜太の場合、口語句も多く、促音は大文字にする新仮名遣い である。
(1)戦時体験
この題材についてはふたりに大きな違いが見られる。澄雄は北ボルネオで体験した死の行軍について、彼自身の具体的な事柄をほとんど語っていないし、俳句に詠んでいない。
そこから察するに澄雄にとって戦場は、口にするのが憚られる経験であったのであろう。
一方、兜太は体験の具体をいくつも語っているし、俳句作品に残している。出征で故郷に別れを告げる場面や日本に復員してからの人々との付き合いなども詳細に書いている。
[澄雄]俳句作品で反戦といった意志表明をすることはなかった。
     白地着て白のしづけさ原爆忌          『餘日』
白地の着物が、戦争の犠牲者への鎮魂と生き残った自分の覚悟を表す。
     戦にて死なで重ねし初旦            『花間』
戦場で死なないで復員し、何度も日本の正月元旦を迎えた、という感慨。
     われもまたむかしもののふ西行忌        『天日』
歌人西行は僧侶になる前は、御所の北面に勤める武士であった。澄雄も兵士となって戦争に加わった。陰暦二月十六日の西行忌に際しての感慨である。
     翁ともに酷暑歩けりいくさの日         『深泉』
酷暑の戦場を老兵と行軍したという意味ではない。「翁」は芭蕉句集の比喩。ボルネオのジャングルを行軍した時、背嚢の底には芭蕉句集を入れていたことを思い出している。
[兜太]戦地で作った俳句のメモを石鹸に穴を掘って詰めて持ち帰った。
     冬山を父母がそびらに置きて征く        『生長』
故郷の父母と別れて出征する時の句。父母の背後には冬の秩父の山が見えていた。
     バナナの葉へし折り焼夷弾叩く         『生長』
「バナナの葉・へし折り焼夷・弾叩く」と句切れば、五・七・五の律になる。
     魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ        『少年』
律は八・九・三の破調だが、初句切れと結句の文語が短詩型の韻律を感じさせる。
     水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る       『少年』
戦争に負けて復員船で戦場を後にする時、戦地に葬った兵士たちに思いを馳せる。振り切った無慈悲な表現に見えるが、心中の慟哭が聞えるようだ。