機会詩〈短歌〉ノート (4/6)
次は、平成の大規模テロとして、オーム真理教事件。加藤治郎の歌から。
ああ朝のひかりのなかにひらかれたバイブルは翼 あそべぽあぽあ
加藤治郎
バイブル、ぽあぽあというわずかな手掛りしかないので、時間と共に何を詠んだのか判らなくなる。何かを茶化している、とも。
歴史に残る周知の固有名詞があれば理解可能になる。例えば、
真珠湾のいくさの知らせ聴きし朝の胸のとどろきを忘れじとこそ
吉井 勇
近年ではイラクのクェート侵攻について、黒木美千代の歌から。比喩が効いているが判る。
咬むための耳としてあるやはらかきクウェートにしてひしと咬みにき
黒木美千代
時事詠が即時性、一過性の事件に対応するのに比べて社会詠はかなりの期間持続する事象に対応する。社会詠の対象となった事件の分かりやすい例として、日米安全保障条約反対闘争。六0年安保と七0年安保とがある。六0年安保では、当事者として行動した岸上大作、清原日出夫、筑波杏明らが代表的。
装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている
岸上大作
何処までもデモにつきまとうポリスカー中に無電に話す口見ゆ
清原日出夫
警棒に撲たざることをぎりぎりの良心としてわれは追ひゆく
筑波杏明
六0年安保闘争の短歌について、篠弘『現代短歌史』Ⅲから、池田弥三郎、石川達三、武
川忠一といった評者の意見を要約しておこう。
手当たり次第に社会事象に手軽に反応し、無選択に作歌してしまううらみがある。
なまな社会的な憤りや嘆きを詠んでいるので、リアリティの強さがある。芸術的でなく
とも、より詩的感動を高める表現がほしい。警官=権力、民衆=正しき弱きものとする
類型化。内 容が一様になってしまって、作者のオリジナルな考えも個性も稀薄にな
る。
以上のような評価であった。
七0年安保では、道浦母都子『無援の抒情』が代表的である。
炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る 道浦母都子
注意すべきは、この歌集は、七0年安保から十年も後に出たことである。岸上、清原、筑
波たちがリアルタイムで詠んだ時事詠と違ってテーマ詠の性格を帯びている。同様のこと
は、原爆体験を詠んだ竹山広『とこしへの川』についてもいえる。
かの日わが頭上に立ちし原子雲の外景をけふ仰がむと来つ
竹山広
社会詠として忘れてならないのは、藤原龍一郎が切り拓いたマンガ、映画、プロレスな
どを含む芸能文化の世相を詠んだ風俗詠である。
ほろびたるもの四畳半、バリケード、ロマンポルノの片桐夕子
藤原龍一郎
一時期世の注目を浴びた後、十年も経てば思い出すことが困難になるような膨大な固有名
詞と事象の世界である。