天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

河童と我鬼 (1/10)

芥川龍之介(webから)

はじめに
俳句歳時記・夏の行事の項に、人の忌日が多く並んでいる中に、河童忌がある。芥川龍之介の忌日(七月二四日)の名前である。「河童」は自殺した年に書いた短編小説の名前であり、時々描いた得意の河童の絵に由来している。
芥川龍之介の本業は、周知のように小説書きであり、俳句は余技であった。俳号は「我鬼」といった。なんとも異様な馴染み難い名称である。萩原朔太郎に、「「小説家の俳句」俳人としての芥川龍之介室生犀星」というエッセイがあるが、芥川の俳句に対する評価は実に厳しい。曰く、「その末梢神経的の凝り性と趣味性とを、文学的ヂレツタンチズムの衒気で露出したやうなものであつた。」その代表句が、
     蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
であると、酷評した。ところが、時の代表的俳人・飯田蛇笏は、この句(大正七年「ホトトギス」発表時は「鉄条(ぜんまい)に似て蝶の舌暑さかな」)を絶賛しているのである。戦後の国語の教科書にも載った。
本文では、芥川龍之介の俳句の特質を、経歴の面から分析してみたい。現在でも世の多くの俳句作者にとって、生活を支える本業は別にあり、俳句は余技であり趣味の範囲である。こうした俳句愛好者にとって、芥川の俳句作法は大いに参考になるはずである。