天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

留魂歌(4/5)

笠間書院から

辞世
この世を辞すること、つまり死ぬことである。それにはいくつかの場面がある。老衰死が自然で望ましいが、病死、事故死、自死(自殺)、戦死、刑死など不自然な死もある。辞世という時、事前に自分の死を悟って残す詩歌を指すこともある。ここではいくつかの場面で詠まれた歌(辞世歌)をとり上げる。
寿命がきて死ぬ場合も、きっかけは病気になることが多い。本人も周囲も覚悟ができていれば、辞世の歌は淡々とした調子になる。
 つひに行く径とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
                  在原業平『歌集』
古今和歌集伊勢物語の最終段にもでているよく知られた歌。
 思ひ置く言の葉なくてつひにゆく道は迷はずなるにまかせて
                 黒田官兵衛「短冊」
やることはやって心残りはない、という潔さ。享年五九。見事な生涯。
 神妙にーなーもーわあーみーだーぶちー唱(とな)ふれど辺地懈慢(へんぢけまん)も
 覚束なわれは       吉野秀雄(死の病床にて)
初句、念仏の二句、大仰な四句 などでユーモアを感じる。享年六六。
若くして病死した現代歌人も何人かいるが、一例をあげると
 死ぬならば真夏の波止場あおむけに わが血怒濤となりゆく空に
                     寺山修司
寺山は学生の頃にネフローゼを患い、長期入院したが、晩年にも肝硬変のため入院。腹膜炎を併発し敗血症で死去した。享年四七。この歌から、若者に相応しいギラギラした死を望んだことが分る。
次は何らかの事情により自ら命を断つ自死の場合の辞世について。三例をあげる。
 夏の夜の夢路はかなきあとの名を雲井にあげよ山時鳥
                     柴田勝家
居城の越前北ノ庄を秀吉軍に包囲され、城に火を放ち自刃した。享年六二。名前を後世に残したい思いを率直に詠んでいる。夫の後を追った妻・お市の方の辞世は「さらぬだにうちぬるほども夏の夜の夢路をさそふほととぎすかな」であり、夫に唱和している。
 現し世を神さりましし大君のみ跡したひて我はゆくなり
                     乃木希典
明治天皇御大葬の当日、静子夫人とともに自刃、殉死であった。この世への心残りは全く感じられない。享年六四。静子夫人の辞世は「出でまして帰ります日のなしと聞く今日の御幸にあふぞ悲しき」であるが、この方が真率な悲しみに満ちて感動する。