天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

副詞―個性の発現(2/11)

小学館より

分析の対象
分析の対象とした文献を次にあげる。
芭蕉については、堀信夫監修『芭蕉全句』小学館        (976句)
蕪村については、藤田真一、清登典子編『蕪村全句集』おうふう(2907句)
一茶については、丸山一彦校注『一茶俳句集』岩波文庫    (2000句)
展宏については、『春 川崎展宏全句集』ふらんす堂     (2308句)
などを元にする。但し、一茶は生涯に二万句を残したといわれるが、ここでは比較上、二千句の俳句集をとった。また、展宏の場合、全句集には重複の句があるので、その数を引いて全句数とした。こうして対象とした句数を、()内に示す。なお、本文で引用する俳句の旧仮名遣いは、原文を正規なつづりに訂正した。
副詞を抽出するに当っては、種類と出現総数に注目した。
先ず種類について。意味は同じだが、音数・韻律の関係で少し変形した言葉は、異種に分類した。例えば、「からりと」と「からりからりと」、「はらはら」と「はらりはらり」など。また同じ種類としたものは、表記は違うが読み・意味が同じ場合で、例えば、「早」と「はや」、「先」と「まづ」、「クリクリ」と「くりくり」など。なお、「しんしん(津津、深深、森森)と」や「しんかん(森閑、深閑)と」のような形容動詞の連用形を、副詞と混同しないよう注意が必要である。
先の文献について、各俳人が使用した副詞の種類数をまとめると、
 芭蕉37種、蕪村71種、一茶185種、展宏162種
また、各俳人が前記の俳句集で使用した副詞の総数は、次のようになっている。
 芭蕉62語(6.4%)、蕪村110語(3.8%)、一茶256語(12.8%)、
 展宏232(10.1%)。
()内は、対象とした文献の全句数における使用副詞数の割合である。この面からみると、副詞の使用頻度では、蕪村、芭蕉、展宏、一茶の順に高くなる。
副詞の中でオノマトペ(擬音語、擬態語)の占める割合を見てみると、年代順に
 芭蕉12句(19.4%)、蕪村24句(21.8%)、一茶177句(67.0%)、
 展宏149句(60.6%)
となっている。
以上のことから、一茶において副詞なかんずくオノマトペの使用頻度が格段に高くなっていることが分る。驚くことに、一茶では、現代の展宏も及ばないほど高いのである。その要因は、オノマトペが俳句の生命である滑稽を表現する手段として容易であり、独創性を出しやすいから、と考えられる。芭蕉は、晩年に「かるみ」を唱えたが、その方法にオノマトペを用いた。このことに気付いて精力的に実践したのが一茶であった。結果が右に見た分析の数値に現れているのである。
蕪村が亡くなった時、一茶は二十歳頃であり、十五歳で江戸に出て来て転々と渡り奉公をした末に、俳諧に糊口の道を求めるようになった時期である。蕪村は当然のこと芭蕉の俳句もよく学んでいた。だが、蕪村は滑稽を表現する手段に副詞を重用することはなく、芭蕉と同様、擬人化、知的操作(本歌取、謎解き)、雅俗対比 などが主であった。
一茶の生きた時代は、蕪村と二十年ほど重なるが、副詞特にオノマトペの使用頻度が数倍している点に、一茶の意識的俳句作法が認められるのである。