天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

自然への挽歌(6/9)

アニミズム  
 自然を詠う場合に、自然と作者とを平等の立場におく、あるいは自然と一体化して交信する際に、アニミズムは必然的に視野に入ってくる。これは洋の東西を問わない。
アイヌユーカラや古代神話では自然界の生物はすべて同等であり、言葉を話して交
流した。ユーカラでは、梟、狐、兎、蛙、獺、沼貝 などが歌を詠っている。縄文時代以前の太古の思想や感情をよみがえらせてくれる。
 しかし明治期の欧化政策と合理主義の洗礼を受けた社会では、神話のようなメルヘンはもはや受容されない。そうした中でアニミズムを考え直す契機になったのが、柳田国男民俗学であった。近代においても風土や民俗は、個人の情緒を左右しており、地方出身者の多い歌人においては尚更のことであった。
 柳田国男は、民俗学に入る前には抒情派詩人として知られ歌人でもあった。香川景樹の桂園派の和歌から出発し、雑詠の重要性を認識していたが、題詠風の作品も多い。民俗学に専念してからも短歌を詠んだ。

 さへのかみくなどの神もたちふさぎ老のさかひに我をとどめよ
柳田国男に師事した折口信夫歌人釈迢空)は、国文学に民俗学的研究を導入し、新境地を開いた。その体験を近代感覚で歌に詠んだ。
 人も 馬も 道ゆきつかれ死ににけり。旅寝かさなるほどのかそけさ
 遠き代の安倍の童子のふるごとを 猿はをどれり。年のはじめに
この折口に師事して身の回りの世話をしながら国文学と短歌を学んだ歌人岡野弘彦がいる。岡野の歌の特徴は、現実の生活の奥の奥の方にかすかに揺曳していてまだ形をなさないものにじっくりと目を据えて、それを言葉によって掴み出して歌ってくるところにある、と云われる。
 またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく
シュールレアリズムをとおしてモダニズム短歌の旗手として活躍した前川佐美雄は動物と一体化するような歌を詠んだ。
 ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし
前川の弟子である前登志夫は、釈迢空の事物の中に精霊を見るアニミズムの世界観に共鳴して、吉野での山林生活の中から、精霊信仰や宇宙的な生命感をもって、風土を詠った。
 ゆうらりとわれをまねける山百合の夜半の花粉に貌(かほ)塗りつぶす
豊穣な自然との交歓、動植物や風土との一体化志向など、アニミズム感覚で作歌する現代歌人のひとりに日高堯子がいる。前登志夫に惹かれて執筆した『山上のコスモロジー 前登志夫論』もある。
 声もたぬ虫にまじりて地に這へば草のくらやみかぎりもあらぬ
「短歌は始原的にアニミズムを表現する詩であった」とする立場から、真正面にアニミズム短歌を作った現代歌人は、佐佐木幸綱である。歌集『アニマ』より、
 樹にされし男も芽ぶきびっしりと蝶の詰まれる鞄を開く

 カナリアがかつて集いし竹の籠このごろ透明な何かが遊ぶ
この歌集の特徴は、「佐佐木における精霊たちの声や気配は、東横線の鉄橋から見える多摩川や早稲田の街の樹木にもあまねく感じ取られるべきものなのであった。」という島田修三の評に見てとれる。
 アニミズムにリアリティが感じられない、作り物で嘘くさい。気恥ずかしくなる。この背景には、現代科学の進歩と教育がある。
 我々人間も自然界の一員にすぎず平等という当り前の立場に戻って詠うことがより一層重要になろう。

 

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佐佐木幸綱歌集