天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

紅葉狩りー源氏山公園

 鎌倉駅から寿福寺に向かい、墓地の裏山の道をたどって源氏山公園に入った。鎌倉の山々が黄や赤に染まるには、まだ少し時間を要するようだが、所々に見事な紅葉の木々が見られた。
 頼朝像の前の桜並木はすでに落葉してしまっていてがっかりした。日野俊基の墓、葛原ケ岡神社を経て浄智寺、北鎌駅と歩いた。ハイキングコースであるため、大勢のハイカーに出会った。
 葛原ケ岡は化粧坂の頂上部にあたり、日野俊基が斬首された刑場でもあり、多数の火葬跡が発見されたという。化粧坂は、険しいところながら交通の要衝であるとともに葬送の地でもあったのだ。
 ちなみに寿福寺の並びに英勝寺がある。裏山が共通だが、その山道のほとりに太田道灌の墓と称する石がある。英勝寺の寺地は太田道灌の屋敷跡であった。後に道灌の子孫で徳川家康の側室だったお勝の方が、家康の死後、英勝尼として出家し、寺を建てたという。


     頼朝の視線はるかやもみぢ散る
     赤や黄のもみぢまぶしむ源氏山
     老人のハイカー多しもみぢ山

  寿福寺の裏山道にぽつねんと太田道灌の小さき墓あり
  道灌が住まひし屋敷跡なりき英勝院の建てしお寺は
  道灌の子孫といへる英勝尼住ひし寺は花ゆたかなり
  頼朝の無表情なる像ありて桜もみぢははや散り果てつ
  はるかなる海をながめて胡坐(あぐら)せり桜もみぢのちり果てし山
  後醍醐を支へしゆゑに斬首さる文章博士日野俊基
  今に見る日野俊基の処刑場葛原岡の露と消えにし
  威厳ある墓立てられてしづもれり日野俊基は葛原岡に
  老人のハイカーたちに追ひ越され浄智寺までをよろめき歩く

 

f:id:amanokakeru:20181208075253j:plain
f:id:amanokakeru:20181208075237j:plain
f:id:amanokakeru:20181208075156j:plain
源氏山公園にて