天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

西行と雲と仏教と

 西行の雲の歌については、過去のこのブログ(2016年9月5日、6日)で取り上げている。ここでは、さらに詳細を調べてみたい。
 出家した西行は、仏教に何を期待し、何を学んだのであろうか。和歌における精進業績は、よく語られているが、仏道での足跡はほとんどわからない。諸国をめぐり、所々で庵を結んで一定期間を暮した、という話が伝わるのみ。ただ高野山には通算30年を過ごしたらしい。
 西行は、「歌は即ち如来(仏)の真の姿なり、されば一首詠んでは一体の仏像を彫り上げる思い、
秘密の真言を唱える思いだ。」という和歌即仏像、和歌即真言の考えをもっていたらしい。つまり
良い和歌を詠むことがとりもなおさず仏道修行だという、独自の考えであったのだろう。
 流浪ともいえる西行にとって、桜は特別のものであったことは、よく知られているが、ここで
は雲を詠んだ歌に注目してみたい。桜と違って雲は、一年中、人の目に見えるものであり、その
様子から人は様々な感慨を抱く。それを西行の歌に見てみたい。
 『山家集』(佐佐木信綱校訂、岩波文庫)をもとにする。雲の入った歌は全部で96首あり、部立ごとに以下のような分布になっている。

□春歌 18首、 □夏歌 2首、 □秋歌 33首、 □冬歌 4首、 □離別歌 0、 
□羇旅歌 7首、 □賀歌 1首、 □恋歌 3首、 □雑歌 5首、□哀傷歌 3首、
□釈教歌 3首、 □神祇歌 1首、 □聞書集 11首、 □残集 0、 □補遺 5首。

 これから判るように秋歌の部立に一番多く、次いで春歌の部立に多い。それらの内容を見てみると、秋歌では雲と月との取合せ、春歌では雲と桜(花)との取合せで詠まれているという顕著な特徴がある。例歌を一首ずつ次にあげる。
  いとへどもさすがに雲のうちちりて月のあたりを離れざりけり
  吉野山谷へたなびく白雲は嶺の桜の散るにやあるらむ
他の部立にある雲の歌についてもこの傾向は強い。西行が生きた新古今集時代の和歌の詠み方の一つの典型であった。
 放浪の仏教修行者にとって、雲は物思いのきっかけになるはずであり、雲だけからくる感懐があるのではないかと、かってに思い込んで調べてみた。次の11首があった。いずれも有名歌ではないが、放浪の心情をよく映している。

  雲かかる遠山ばたの秋されば思ひやるだにかなしきものを
  秋しのや外山の里や時雨るらむ生駒のたけに雲のかかれる
  晴れやらで二むら山に立つ雲は比良のふぶきの名残なりけり
  あくがれし心を道のしるべにて雲にともなふ身とぞ成りぬる
  あまくだる名を吹上の神ならば雲晴れのきて光あらはせ
  雲につきてうかれのみ行く心をば山にかけてをとめむとぞ思ふ
  雲の上の楽みとてもかひぞなきさてしもやがて住みしはてねば
  こぎいでて高石(たかし)の山を見わたせばまだ一むらもさかぬ白雲
  いかでわれ谷の岩根のつゆけきに雲ふむ山のみねにのぼらむ
  ひとすぢにこころのいろを染むるかなたなびきわたる紫の雲
  有明は思ひ出あれやよこ雲のただよはれつるしののめのそら

 西行がどのような仏教修行をしたかについて具体的な話はついぞ読んだことは無い。釈教歌との関係で論じた文献があるようだが、あまり話題にならない。「西行の関心は、密教の他、浄土宗、修験道神道本地垂迹思想など、多方面にわたっていて、関心の趣くまま、自由にそれらに接していたようだ。」というのが一般的な理解だろう。
西行における仏教と和歌の関りを論じることは大変難しい課題と思われる。

 

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高野山ー讃岐白峰ー吉野山 (WEBから)