天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

忘れる・忘却の歌(5/6)

  哀れさらば忘れて見ばやあやにくに我が慕へばぞ人は思はぬ
                   風雅集・進子内親王
  忘るなよさすが契りをかはしまに隔つる年の波は越ゆとも
                    新続古今集・尭孝
  かへらむと我がせし時にわが紐を結びし姿いつかわすれむ
                        田安宗武
  鶯の鳴く一声にわすれけりいづこにか行くわが身なりけむ
                        大隈言道
  忘れにし今を嬉しとすならねど忘れずあらば生くべしや身は
                        窪田空穂
  忘却のかげかさびしきいちにんの人あり旅をながれ渡れる
                        若山牧水
  百万の味方はいつも背後にあることを忘れるな心へこたれる時
                        矢代東村

 

 一首目: 「あやにく」は、意地が悪い、都合が悪い の意。全体は「ああそれなら、あの人のことを忘れてみたいものだ。皮肉なことに、私が慕えばあの人は思ってくれないのだから。」
 三首目: なんとも切ない。
 大隈言道の歌は、老齢による物忘れを詠んで、なんともユーモアがある。
 若山牧水の歌は、自画像を詠んだようだ。
 矢代東村は、大正-昭和時代の歌人。千葉県出身。明治22年生まれ。前田夕暮に師事し、「生活と芸術」などに短歌を発表。大正4年から口語歌をはじめプロレタリア短歌運動に加わる。
戦後は『人民短歌』の中心の一人。口語行分けの表記による作に自在を加え、生活派を継承する口語歌を推進させた。(https://kotobank.jp/word/矢代東村 による。)

 

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