涙のうた(1/11)
「なみだ」の語源は、「なきみずだり(泣水垂)」の略「なみだ(泣水垂)」。古くは清音だったが、奈良時代には濁音化していたという。玉や露にたとえられ、古来和歌の主要な題のひとつであった。
朝日照る佐(さ)太(だ)の岡辺(をかべ)に群れ居つつわが泣く涙止む時も無し
万葉集・日並皇子宮の舎人
敷栲(しきたへ)の枕ゆくくる涙にそ浮宿(うきね)をしける恋の繁きに
万葉集・駿河婇女
ますらをと思へるわれや水茎の水城(みずき)の上に涙拭(のご)はむ
万葉集・大伴旅人
妹と来し敏馬(みぬめ)の崎を還(かへ)るさに独りして見れば涙ぐましも
万葉集・大伴旅人
妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべしわが泣く涙いまだ干(ひ)なくに
万葉集・山上憶良
あはれとも憂しともものを思ふときなどか涙のいとながるらむ
古今集・読人しらず
泣くなみだ雨とふらなむ渡り川水まさりなばかへりくるがに
古今集・小野篁
血の涙落ちてぞたぎつ白河は君が世までの名にこそありけれ
古今集・素性
一首目: このブログ「2016-04-26 朝日を詠う(1/4)」ですでに取り上げた歌で、草壁皇子の死を悼んで舎人たちが詠んだ二十三首の晩歌のうちの一首。「佐太の岡部」は草壁皇子の墓がある真弓の丘のこと。
二首目: 「しきたへ」は、楮の樹皮で織った布を寝床として敷くこと。「枕」「手枕」「木枕」に掛かる枕詞。一首目の意味は、「柔かな枕からこぼれる涙に身体が浮かぶ思いで寝ています。恋の苦しさに…」
大伴旅人の二首目: 大宰府の長官としての三年近い任期を終えて奈良へ戻るときに詠んだ五首のうちの一首で、大宰府で亡くなった妻を偲ぶ歌。
山上憶良の歌は、大伴旅人の妻の死に対して贈った追悼歌。「楝」は植物のセンダンのこと。一首の意味は、「妻が見たセンダンの花はもうすぐ散ろうとしているよ。私の泣く涙はいまだ乾かないというのに。」
小野篁の歌: 詞書に「いもうとの身まかりにける時よみける」がある。意味は、「泣いて出てくる涙が雨になって降ってほしい。三途の川の水を増して、川を渡れなくてあの人が帰ってくるように。」
素性の歌: 意味は、「悲しみの血の涙が落ちて沸き立つこの川が、白川と呼ばれていたのは、あなたが亡くなる前のことです。」 一つ前の小野篁の歌の 「泣く涙」を受けている。