天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

涙のうた(6/11)

  涙川おなじ身よりは流るれど恋をばけたぬものにぞありける
                   後拾遺集和泉式部
  涙川そでのゐぜきも朽ちはててよどむかたなき恋もするかな
                 金葉集・皇后宮右衛門佐
  なみだがはその水上をたづぬれば世のうきめより出づるなりけり
                      詞花集・賢智
  涙川たぎつこころの早き瀬をしがらみかけてせく袖ぞなき
                  新古今集・二条院讃岐
  なみだ河身もうきぬべき寝覚かなはかなき夢の名残ばかりに
                     新古今集・寂蓮
  別れての後ぞ悲しき涙川底もあらはになりぬと思へば
                  新勅撰集・読人しらず
  篝火にあらぬわが身のなぞもかく涙の川にうきて燃ゆらむ
                   古今集・読人しらず
  せきもあへぬ涙の川は早けれど身のうき草はながれざりけり
                    金葉集・源 俊頼
  この瀬にもしづむと聞くは涙川ながれしよりもなほまさりけり
                    千載集・藤原惟方

 今回の一連も涙川である。
 和泉式部の歌: 「おなじ身」より流れているものとは、涙川と恋を指している。そして涙川は、恋の火を消さないものだ、と詠う。
二条院讃岐の歌: 「涙」、「袖」 さらに、「川」、「たぎつ」、「瀬」、「しがらみ」、「せく(堰)」 など、縁語のオンパレード。技巧が目立つきらいあり。
 寂蓮の歌: 「うき」に「憂き」を掛ける。意味は「恋しい人を夢に見て、途中で目が覚めた。その儚い名残惜しさに、川のように涙を流し、身体は床の上に浮いてしまいそうだ。なんて辛い寝覚だろう。」
藤原惟方の歌には、次のような説話がある。瀬と涙川との対比が効いたようだ。
平治の乱後に配流となった人々が、次第に都に召還されていく中で、惟方はいつ赦されるかわからないまま過ごしていたが、配所から都に対して女房へことづけて、この歌を詠んだ。これを聞いた後白河法皇は哀れんで、惟方を赦免し都にもどしたという。」 

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篝火