天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

涙のうた(11/11)

  怯懦とも悔いつつ吾の日々あれば或る宵やさし涙ぐむまで
                        扇畑忠雄
  この椅子に涙ぐみつつゐしことも老いてののちにわれは思はな
                        上田三四二
  ほほゑみ多き少女なりしがただ一度かすかなる涙見しことありき
                        吉田正俊
  かかる世に涙を持ちて生れしがわが過失(あやまち)のはじめなりけん
                        中原綾子
  石鹸積みて香る馬車馬坂のぼりゆけり ふとなみだぐまし日本
                        塚本邦雄
  壮年のなみだはみだりがはしきを酢の壜(びん)の縦ひとすぢのきず
                        塚本邦雄
  玉葱の皮剥ぐ時に易々と人にも見せて涙ながせる
                       富小路禎子
  夏の夜の月のひかりにてらされてうかぶ涙をわれは見たりき
                        原田兎雄
  ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
                        穂村 弘 

 上田三四二は、「歌は愛の声であり、浄念である」と唱えた。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなっていく。享年66。彼にとって老いるとは何歳くらいを想定していたのだろう。
 中原綾子は、大正-昭和時代の歌人で、与謝野晶子に師事した。掲載の一首は、観念的で解釈にとまどう。
塚本邦雄の一首目は、歌集「日本人霊歌」より。また二首目は、歌集「感幻楽」にある歌。二首ともに文字通りの解釈をするしかない。
 穂村 弘の歌には、悲しみが込められていて笑えない。読者はかってに背景を想像するのだ。

f:id:amanokakeru:20181226080435j:plain

たまねぎ