天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

副詞―個性の発現(8/11)

夕顔

俳人の特徴ある副詞
ここでは芭蕉、蕪村、一茶、展宏 それぞれに特徴的な副詞につき、例句をあげる。


芭蕉の場合: 軽味のある俗語調。八例をあげる。
  夕がほにみとるるや身もうかりひよん
ウリ科の夕顔からは、瓢(ひさご、ひょん)と呼ばれる実がとれる(・・・・・)。花の美しさに見とれて(・・・・)、うっかりひょんと時を過ごしてしまった。ところで、一茶には「稲妻やうつかりひよんとしたかほへ」という句があるが、芭蕉句を踏まえているようだ。
  梅が香やしららおちくも京太郎
梅の香をかぐと、浄瑠璃「十二段草子」にある、「よみけるさうしは・・・しらら、おちくも、京太郎」という詞章が、口をついて出てくる と詠む。
  たんだすめ住めば都ぞけふの月
「たんだすめ」は、中秋の名月に、ひたすら澄み渡れとの呼びかけ。俚諺からくる「住めば都」と続けて、「たんだすめすめ」という歌謡調を差し入れた。
  どむみりとあふちや雨の花曇
雨の中で、樗(栴檀)の花がけむったようにどんよりと見えた。
  むめがかにのつと日の出る山路かな
「のつと」は、日の出の様子を表す擬態語。「かるみ」を具現化した芭蕉の造語。
  ひやひやと壁をふまへて昼寝哉
「ひやひや」は季語の働きもしている。中七下五と相俟って俳味が濃厚に出る。
  ともかくもならでや雪のかれを花 
「ともかくもなる」は死ぬこと。雪をかむる枯尾花然とした哀れながら、死ぬこともなく、帰ってきた。一茶の句に「ともかくもあなた任(まか)せのとしの暮」があるが、この場合の「ともかくも」は、どちらにしても、の通常の意味。
  馬ぼくぼく我をゑに見る夏野哉
「ぼくぼく」は、馬の歩くひずめの擬音語であり、歩く様子の擬態語でもある。


蕪村の場合: 理知的な言葉使い。八例をあげる。
  春の水にうたた鵜縄の稽古哉
「うたた」は、いよいよ の意味の歌語。いよいよ夏のシーズンに備えて、鵜縄を扱う稽古が本格的になってきた、という。
  鵯(ひえどり)のうたた来啼(きなく)やうめもどき
梅もどきの実を目当てに、鵯の訪れがいよいよ盛んになってきた。
  春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
擬態語「のたりのたり」が、「終日」と相俟って海面のうねりの限りないさまをよく表している。
  なのはなや昼一しきり海の音
  一しきり矢だねの尽(つく)るあられ哉
いずれも「一しきり」は、ある期間盛んなさま。後の句は、一時、盛んに降ったあられが突然止んだのを、射るべき矢種の尽きた様子に喩えた。ちなみに展宏に「ひとしきりそらにみづおと白木蓮」という句がある。
  よもすがら音なき雨や種俵
種俵の置いてある家の外では、一晩中、音もなく雨が降っていた。
  風雲(かざぐも)のよすがら月のちどり哉
風にのって雲が夜通し流れている。そこに見え隠れする月はあたかも千鳥のようだ。「よもすがら」と「よすがら」は同じ意味の言葉。一句の音数律に合せて選ぶ。
  烈々と雪に秋葉の焚火かな
「烈々と」は、激しく盛んなさま。秋葉の火祭り(今の静岡県秋葉山権現で十二月十五日、十六日の例祭)の壮烈な様子を詠んだ。