夢を詠う(13)
真夜中のねむり浅きに見る夢は汝があるときのありありとして
鹿児島寿蔵
ひたすらに恥づかしければ言はずおくおのれ山雀(やまがら)
にて逃ぐる夢 伊藤一彦
雄の鶴となりて高きを渡りつつふいに空なき不可思議の夢
伊藤一彦
まひるまに夢見る者は危しと砂巻きて吹く風の中に佇つ
春日井 建
なほひとつ越えてゆかんとする峠夢にも見つつ日々の過ぎゆく
木俣 修
ふしぎなる夢見しかなと思ふのみその断片の雲散霧消
大野誠夫
駆け込みて訴うればそんなにもいじめられたのかいと夢の猫言う
阿木津 英
枕辺に海水を飼う夢をみる潮みちひきて滅ばざるなり
冬道麻子
鹿児島寿蔵はアララギ派の歌人で紙塑人形の創始者。紙塑人形で人間国宝になった。この歌は生前の奥さんのはっきりした姿の夢をみる、ということであろう。
木俣修の歌にある峠は、国文学者として持っていた研究課題を比喩しているように思える。大学の教授や古典和歌と近代短歌をともに論じることのできる批評家として活躍し、歌会始選者、宮内庁御用掛として昭和天皇の和歌指導なども行った学者らしい内容である。
最後の冬道麻子の歌で「海水を飼う夢」とは、独特で面白い。