挽歌―茂吉と隆―(2/4)
母の葬式の場面でのよく似た情景
茂吉の『赤光』「死にたまふ母」と、隆の『歳月の贈物』にある母の挽歌を比較すると、状況の良く似た作品が多い。いくつか見てみる。
死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)の
かはづ天に聞ゆる 茂吉
死にちかき黄蜂(きばち)はすでに視ざるべしなほわれは見む
玻璃(はり)掻(か)きむしり 隆
茂吉の「死にたまふ母」には「死に近き」の初句を持つ歌が、三首ある。隆はこの一首のみに使っている。黄蜂は母の暗喩。
たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
茂吉
母へ行く私鉄の席の冷ゆれどもまどろみの夢かがやきて去る
隆
ふたりとも汽車あるいは電車に乗って母のもとへ急いでいる。車内では良く眠れなかった。隆がまどろんで見た夢では、母は元気だった。
寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば
茂吉
朝蜂の脚はけぶらひ往き来して母さへわれを〈あやふし〉と言ふ
隆
臨終にあるそれぞれの母はそれぞれの息子に話しかけたのである。岡井の母は、女出入りの激しい岡井の生き方を案じていたことがうかがわれる。ここの朝蜂は隆をさす暗喩。
死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
茂吉
たんぽぽを根ながら提げて母に見すいくばくもなく天(てん)へ
発(た)つゆゑ 隆
茂吉は苧環の花が咲いたことを告げた。隆は根のついたたんぽぽを見せた。両者には草花に親しんだ女性への心遣いが共通している。茂吉の母・いくは五月に、隆の母・花子は七月に亡くなった。歌からその季節が分る。ふたりの享年は、いく五十九、花子七十九であった。
いのちある人あつまりて我が母のいのち死行(しゆ)くを見たり
死ゆくを 茂吉
昨(きぞ)の夜(よ)は柩(ひつぎ)置かれて人つどふ部屋なりしかど
むなしきに花 隆
臨終の母の周りに人々が集まっている情景である。生きている人あるいは咲いている花。両者とも死んだ人と対比させて無情を感じさせる。
ひとり來て蠺(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは
極まりにけり 茂吉
母逝き四十九の昼すぎぬ呪(じゆ)といひて幹をはなるるつくつく法師
隆
母が息を引き取った後のそれぞれの行動を詠んでいる。茂吉は蚕を、隆はつくつく法師を見ていた。その時の隆は四十九歳であった。茂吉の下句の直情表現と岡井の客観描写の違いが目立つ。