天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

挽歌―茂吉と隆―(3/4)

歌集『家常茶飯』

口語表現・破調・比喩の効果
挽歌における口語表現の効果を岡井隆の場合について見るが、実は茂吉にも次の一首がある。
 わが母を燒かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし
「燒かねばならぬ」の一カ所の口語体が心情をよく表している。
岡井隆の場合口語調は、弟と妹のそれぞれの挽歌に多くみることができる。弟・亮について『〈テロリズム〉以後の感想/草の雨』から三首を次に示す。
 皮膚の下の粟粒大の癌の芽のそれももろともに彼岸へ去つた
 弟の死が兄よりも先に来て「それはないぜ」と兄が泣き出す
 グアヴァ茶の苦さだ鮎と存分に戯れただらう弟が逝く
妹・道子について三首を『家常茶飯』から。
 経歴の細部は知らぬ兄妹(あにいもと) やすらかに還(かへ)れ
 君の故郷へ


 君の死んだその日と同じ朝霧ださしあたりぼくはすることがない
遺された櫛の位置から より強い言葉をさがしてゐたのがわかる
破調を使用すると複雑な心情に添った表現が可能になる。茂吉の作品ではほとんど見られない。前衛短歌の成果のひとつと言えよう。隆の父について例を二首次にあげよう。
 おのれみづから酔ひつつ亡き父の語尾あいたいと崩るるきこゆ
                  『人生の視える場所』
上句は七四五の破調。しどろもどろな内容であることを暗示する。
 父が来て隆しばらく話さないかといふときの深きバリトン
                        『臓器』
五七七五七という旋頭歌風の韻律は、父の少し改まって戸惑ったような口ぶりに合っているようだ。弟についても一首を『〈テロリズム〉以後の感想/草の雨』からあげると、
 皮膚の下の粟粒大の癌の芽のそれももろともに彼岸へ去つた
六七五八七の破調だが、上句の「の」の畳みかけが韻律を滑らかにする。口語短歌における工夫の一つと言ってよい。さらに妹についても一首を『家常茶飯』から。
 みち子の部屋には入(い)れないと立ちはだかつた大男、帽子の
 下なる涙


八五七九七と大幅な破調により異様な状況を表現している。
前衛短歌の特徴の一つは、比喩の多用だが、隆の場合、挽歌における例は社会詠に比べると少ない。先の母の挽歌で見たが、弟の挽歌で次の二例をあげておく。一首目は直喩。
 森から来て森へかへつて行くきみはこだま(エコオ)のやうに
 青くゆらいで    『〈テロリズム〉以後の感想/草の雨』


 皮膚のうらに大白なまづを飼つてゐた弟を抱くその鯰ごと
ここでは拡大した癌を「大白なまづ」に譬えている(暗喩)。