天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

挽歌―茂吉と隆―(4/4)

歌集『ヴォツェック/海と陸』

古典和歌との対比
古典和歌の挽歌で類似の情況を詠んだものと比較しておこう。
火葬した骨を拾う場面が、茂吉の母の場合にも隆の父の場合にも次のような歌に詠まれている。
 蕗の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に
 入れしまひけり              茂吉


 引き出され来し白骨はなほいまだ焔短くあげし時の間(ま)
                       隆
古く万葉集巻七・挽歌には、
 鏡なすわが見し君を阿婆の野の花橘の珠に拾ひつ  
がある。枕詞「鏡なす」と下句の暗喩が美しく見事である。
次に兄が弟の死を悼んだ挽歌として、万葉集に、大伴家持が二十数歳の弟・書持の死を赴任先の越中で知った時の歌がある。そのうちの短歌一首を次に示す。
 好去(まさき)くと言ひてしものを白雲に立ち棚引くと聞けば悲しも
平穏無事にいてくれと言い残したのに弟は死んだ。「白雲に立ち棚引く」は、書持が火葬にふされたことを聞いたからである。茂吉の詠みに近いが、隆の口語短歌と比べると表現に隔世の感がある。
さらに兄が妹の死を悼んだ挽歌として、万葉集に、
 降る雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の猪飼(ゐかひ)の
 岡の寒くあらまくに


がある。兄である穂積皇子が妹である但馬皇女の死を悼んだ歌である。
一首に「あ」音が響くが、挽歌の定型であり、今では物足りない。
また古今集・哀傷歌に、小野篁が妹の没したとき詠んだ次の歌もある。
 泣く涙雨とふらなんわたりがは水まさりなばかへりくるがに
わが涙の雨で三途の河に水が増えたなら、妹が渡れずに帰ってくるだろうから、という分りやすい歌。やはり古典和歌の様式に添っている。
最後に母を回想する歌として、岡井隆には次の一首がある。
 わが母の阿片丁畿(アヘンチンキ)を待ち侘びしあのひそけさの
 春の夕闇            『ヴォツェック/海と陸』


これに対しては、藤原定家が母の死んだ年の秋、以前住んでいたところに行って詠んだ次の歌がある。「あ」音の韻律と体言止めが酷似。
 玉ゆらの露もなみだもとどまらず亡き人戀ふるやどの秋風
                       『新古今集
古典和歌の端正な様式美と伝統的表現を捨て、近代短歌では茂吉に見るような実相観入のリアリズム、現代短歌では塚本邦雄岡井隆らによる短歌韻律の変革、暗喩の多用、口語の導入などで、複雑な心情を反映した表現が可能になった。