天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

道づくし(5/11)

馬頭観音

次は、折口信夫に代表されるフォークロア民俗学)の観点からの道の歌。 歌集『海やまのあひだ』から引こう。明治三十七年頃より大正十四年(十七歳から三十八歳)までの作品で、 歌集あとがきには、「其間に俄かに、一筋の白道が、水火の二河の真中に、通じて居るのを見た。柳田国男先生の歩まれた道である。 私はまつしぐらに其道を駆け出した」という一文がある。 わが国民俗学に「まれびと」論を提出した時期と重なる。                        
周知のように、まれびととは、はるか遠くの地からやってきて、村人に幸をもたらす神をいい、その神のとなえ言や、神をよぶ祭りから、文学や芸能が発生したとする。


 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。
 この山道を行きし人あり


 人も 馬も 道ゆきつかれ死ににけり。
 旅寝かさなるほどのかそけさ


 道に死ぬる馬は、佛となりにけり。
 行きとどまらむ旅ならなくに


 ゆきつきて 道にたふるる生き物のかそけき墓は、
 草つつみたり


後の三首は、供養塔五首の中のもので、次のような前書がある。
「数多い馬塚の中に、ま新しい馬頭観音の石塔婆の立ってゐるのは、あはれである。又殆、峠毎に、旅死にの墓がある。中には、業病の姿を家から隠して、死ぬるまでの旅に出た人のなどもある。」