甲斐の谺(3/13)
以上述べた俳風の特徴は、二人の作品をいくつか並べて見ればよく分かる。
蛇笏作品から
➀ なきがらのはしらをつかむ炬燵かな 『山廬集』
寒鯉の黒光りして斬られけり 『霊芝』
鴉片窟(あへんくつ)春月ひくくとどまれり 『旅ゆく諷詠』
➁ 農となつて郷国ひろし柿の秋 『山廬集』
貧農は弥陀にすがりて韮摘める 『霊芝』
辣韮の花咲く土や農奴葬 『霊芝』
➂ 冬瀧の聴けば相つぐこだまかな 『心像』
うす影をまとうておつる秋の蝉 『家郷の霧』
誰彼(だれかれ)もあらず一天自尊(じそん)の秋 『椿花集』
龍太作品から
➀ 死顔に眼鏡ありけり法師蝉 『山の影』
鷄毮(とりむし)るべく冬川に出(い)でにけり 『百戸の谿』
紺絣春月重く出でしかな 『百戸の谿』
➁ 野に住めば流人のおもひ初つばめ 『百戸の谿』
梅雨の月べつとりとある村の情 『百戸の谿』
百姓の愚に清浄の冬山河 『百戸の谿』
➂ 一月の川一月の谷の中 『春の道』
声かけておのおのまとふ秋の闇 『麓の人』
存念のいろ定まれる山の柿 『今昔』
➀のグループでは、蛇笏の透徹したリアリズムの表現が際立つ。死者を詠むにしても、龍太の方は、ユーモアと温かみが感じられる。食材を用意する場面でも、蛇笏は料理する包丁から目を離さない。龍太の方は、行動を内省的に描く。春月についても、蛇笏の非情性、龍太の抒情性が濃く出ている。
➁のグループにおいて、蛇笏は貧農、農奴といった現在で言う階級意識の強い差別用語をしきりに使っている。蛇笏自身は豪農の出であったから見下した表現になったのであろうと、当時でも問題視された。一方、龍太は兄たちが死亡しなければ、東京にあって文学の道に進めたはずだが、止むを得ず郷里の農家を継ぐことになった。「流人のおもひ」にある種の敗北感が、また「べつとりとある村の情」に村に住むことの煩わしさが出ている。「百姓の愚」と詠んでいるが、これは大自然の中にある自分のことであり、蛇笏のような差別感は無い。
➂のグループは、郷土の情景描写とそこに生きる覚悟に関わる句である。蛇笏は覚悟を詠むとなるとそこに言葉を集中し、情景描写には及ばない。一方、龍太の方は、情景の中に自分の思いを託している。そして純粋に自然を詠む際には、句構造に工夫をこらしている。「一月の川」がその例。