天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

イチロー讃歌(2/12)

オリックス時代のイチロー

オリックス時代のイチロー選手の環境を考える時、選手の育成方法あるいは指導者のあり方を考えさせらる。初めの2年間の指導者であった土井正三監督や山内一弘打撃コーチは、日本のプロ野球界では高い実績をあげた選手であった。土井、山内はイチローの独特な癖を矯正しようとした。この間のイチローのヒット数はわずか36本にすぎなかった。3年目からは、仰木彬監督と新井宏昌打撃コーチのもとでプレーすることになった。登録名を鈴木一朗からイチローに変えた。3年目の年間安打数がいきなり210本(日本プロ球界初)となる。以降、オリックスを去るまでの7年間に1242本のヒットを放った。この間の1996年にオリックスは日本一になり、イチローは最優秀選手に選ばれている。
新井、仰木はイチローの癖を特長として活かし伸ばそうとしたのである。イチローの才能は、新井、仰木によって開花したのであった。


 その年のドラフト一位は田口壮イチローは四位高卒にして
 生意気と振り子打法の嫌はれて二軍降格一再ならず
 イチローの癖を矯正せむとせし土井正三山内一弘
 打ち方の指導拒否して達成す最多安打と最高打率
 イチローの真価見出しはぐくみし新井コーチと仰木監督
 イチローもふるへあがりし大震災 野球のできる喜び語る
 酒のませMLBへ行きたいと仰木監督を説得したり