天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

死を詠む(12)

救急車

  人の死ぬガラス戸のそと日は射して猫の交(つる)むをわれは見てゐる
                     滝沢 亘
  わかさぎは卵をとられ死ぬといふみづうみに聞く春の叫喚
                     北沢郁子
  死ぬときはこんなものかと救急車の固きベッドにゆられ目を閉づ
                     坪井 清
  眠りしまま死んでしまひし父のこと何といふべし五月の五日
                     河野裕子
  いつどこでといふよりどんなふうにして死ぬのか怖し水仙咲けり
                    小島ゆかり
  遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ
                    中城ふみ子
  あがきつつ死にたる人をおもうとき湧くごとく闇の中から馬来る
                    百々登美子
  無名にて死なば星らにまぎれむか輝く空の生贄として
                     寺山修司


北沢郁子の歌では、上句がよく判らない。中城ふみ子の歌は、いかにも彼女らしいという感じ。協議離婚した夫との間には、3男1女の子供たちがいた。しかし乳癌の転移により31歳の若さで亡くなった。百々登美子の歌の下句は、作者の感性によるものだから、分らないといっても仕方ないだろう。寺山修司の作は、いかにも彼らしい若書きである。