天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

死を詠む(18)

菊

  ああ人は遂に死ぬると思ひつつ寂(しづ)やかに降る雪を見てゐる
                    犬飼志げの
  美しき死などかなはず苦しみておとろへ果てて人は死にゆく
                    犬飼志げの
  死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)
  一日はいづみ            上田三四二


  死の側に影をひきつつ生くる日の頭(かしら)をうづむ菊の枕に
                    上田三四二
  自らの死にゆくときも死ぬわれを歌う己れが必ずや居ん
                     川口常孝
  死のことも夜の休息も柔らかきやさしき音に「ねむる」と言へり
                     稲葉京子
  赤々と胸裂かれたる鳩一羽死は無名にてかつは烈しき
                     佐藤通雅
  私が誰かの記憶にいることも死への準備と思うことあり
                     長澤ちづ


人は自分の死に際を想像することがあるだろう。犬飼志げののように最悪の状況を覚悟できれば、かえって気が楽になるかも。上田三四二は二度の大病を経験した。晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多い。一首目は有名である。66歳の生涯であった。歌人たるもの、川口常孝のように、自分の死に際を歌に詠みたい。「ねむる」という言葉は死ぬことも意味する。稲葉京子の歌は分かりやすい。長澤ちづの感覚は、なるほどと納得させられる。