天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

松の根っこ(3/15)

広島原爆跡

   逆襲ノ女兵士ヲ狙ヒ撃テ
   砲音に鳥獣魚介冷え曇る
   銃火去り盲馬地平に吹かれ佇つ
一番目と三番目は、いかにも映画に出てきそうなストーリィであり記述なので、感心しないが、二番目は独自の感覚的把握で見所がある。三番目の初句は、京大俳句には、軍旗去り、で掲載された。
無季俳句に没頭した昭和十二年に次のものがある。
   兵隊がゆくまつ黒い汽車に乗り
   僧を乗せしづかに黒い艦が出る
二句とも黒に情感を託している。安易ともいえるが、三鬼らしいところ。
実際に見聞した戦後の情況で最も有名な句は、次のもの。
   広島や卵食う時口ひらく
昭和二十一年、江田島ディーゼルエンジンの修理に出張した帰り、秋風の吹く曇った広島の街の一角で、一年前の原爆で焼けた石に座ってゆで卵を取り出し、つるりと皮をむいて口に入れた時にできた。小説『続神戸』に、「白熱一閃、街中の人間の皮膚がズルリとむけた街の一角、暗い暗い夜、風の中で、私はうで卵を食うために、初めて口を開く」
とある。この俳句が強烈なインパクトを与えるのは、広島という言葉に原爆を受けた悲惨な町というイメージが想起される戦後である。戦前にこの俳句を見せても、一顧だにされなかったはず。戦後の歌枕としての広島の効果を狙っているわけである。
無季俳句の盛んな時代を経験することで、古めかしい花鳥諷詠の俳句世界は、現代詩の領域に幅を広げることができた。俳人として大成した先駆者として、山口誓子を上げることができる。三鬼にも、新しい題材を俳句に取り込む姿勢は顕著である。スポーツの例として、誓子『黄旗』のラグビー句に刺激されたと思われる
   球を獲てラガーたぎちを溯るかに
や、無季ではないが、晩年に近い昭和三十五年に横浜ヨットレース六句と題して、
   ヨット出発女子大生のピストルに
   潮垂らす後頭ヨットに弓反りに
   大学生襤褸干す五月の潮しぼり
   ヨット混雑海の中にも赤旗立つ
   大南風赤きヨットに集中す
   女のヨット内湾に入り安定す
がある。これらの例は、新興俳句の頃の名残・郷愁であろうか。残念ながら、俳句の形式にしてみただけで散文となんら変らない情景の記述に留まっている。昭和十一年、誓子の有名句、ピストルがプールの硬き面にひびき と比べてみれば判るが、謎・奥行がないのである。