天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

松の根っこ(15/15)

「秋の暮」の句碑

オノマトペ
オノマトペの句では、水枕ガバリの句が、現代俳句の中においても代表格であるが、これは先に取りあげたので省略する。
   びびびびと死にゆく大蛾ジャズ起る
燐翅を震わせて蛾が死ぬ、そこにジャズの音が立ち上がる。現実にジャズは聞こえる必要はなく、幻想でよい。但し、こうした句は底が知れており、一回性の作であり、ましてや他人が真似るものではない。
   逃げても軍鶏に西日がべたべたと
西日がべたべた、で生きる。逃げる軍鶏(しゃも)は、女に頼まれて子供を孕ませるような「阿呆」な三鬼自身であり、戦後播州平野で作ったという。
   春園のホースむくむく水通す
   酔ひてぐらぐら枯野の道を父帰る
   蝌蚪の上キューンキューンと戦闘機
これら三句は、誰しもが納得する言葉使いであり、想像できる光景である。気恥ずかしいような表現もあり、取り立てて感心するほどの句ではない。オノマトペに関しては、名手秋元不死男と懇ろな付き合いをしていただけに、三鬼の手腕も磨かれたのであろう。
おわりに
葉山町堀内五六二番地の三鬼旧居から海側に歩けば十五分ほどで森戸海岸にでる。近年
、夏は海水浴場になり人で混み合うが、秋になると東京六大学のヨットクルーが集まるところ。森戸川にかかる朱塗りのみそぎ橋を渡れば森戸神社境内である。ここから貝る夕照は神奈川の景勝五十選のひとつ、森戸のタ照として名高ぃ。石原裕次郎レリーフとその下に兄慎太郎の『太陽の季節』の一節が石板に刻まれてぃる。西東三鬼が葉山に移ってきたのは、昭和三十一年九月であるが、昭和三十五年に作られた名句
   秋の暮大魚の骨を海が引く
は、この森戸海岸の景である。死の一年半ほど前のことであった。


参考文献
(1)朝日文庫『西東三鬼集』、朝日新聞社(昭和五九年八月二十日)。
(2)『西東三鬼全句集』、沖積舎(平成十三年七月十一日)。
(3)『西東三鬼の世界』保存版、東京四季出版(一九九七年一月一日)。
(4)平井照敏編『現代の俳句』講談社学術文庫講談社(一九九三年一月十日)。