富士のうた(1/5)
富士山の語源については、いくつもの説がある。古い記録としては、『常陸国風土記』に見られる「福慈岳」、また『竹取物語』に不死の薬にかけた話が出ている。
山容が富士に似た山が各地にあり、郷土の富士として名前がついている。それらについては、すでにこのブログで「ふるさとの富士」として紹介した。
不尽の嶺に降り置く雪は六月(みなづき)の十五日(もち)に
消ぬればその夜降りけり 万葉集・高橋虫麿
田児の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける
万葉集・山部赤人
人しれぬ思ひを常にするがなるふじの山こそわが身なりけれ
古今集・読人しらず
夜もすがら富士の高嶺に雲きえて清見が関にすめるつきかげ
詞花集・藤原顕輔
秋まではふじの高嶺にみし雪を分けてぞ越ゆる足柄の関
続古今集・藤原光俊
ふじのねの燃え渡るとも如何(いかが)せむ消(け)ちこそしらね
水ならぬみは 後撰集・紀全子
我のみや燃えてきえなむ世と共に思ひもならぬ富士の嶺のごと
後撰集・平定文
万葉集・山部赤人は最も有名。現在の田子の浦は、工業地帯になってえいる。
古今集の作は、いかにもの掛詞を使用している。「するがなるふじの山」は、意味の上からは不要であることが、取り除いてみるとよく分る。
藤原顕輔の歌: 清見が関は、駿河国庵原郡(現・静岡県静岡市清水区)にあった関所。
紀全子の歌: 息子が殴り殺されるという事件(陽成天皇が殺した、という説あり)が背景にあるのだろうか?
平定文の歌: 後撰集の恋の部に入っている。色好みの美男と伝承される。
[注]このシリーズで掲載した画像は、NHK BSテレビ「美しき日本の山々―富士山」ならびに「富士山―絶景の秘密」」から借用した。