歌集『朝涼』(3/4)
短歌は読んだ時の音・韻律といった聴覚の面に左右されるだけでなく、字づら・表記から受ける視覚効果にも大きく左右される。短歌というと大和言葉が中心になり、外来語やカタカナ言葉は少ない、という印象を持ちやすいが、この歌集では、現代短歌としても外来語やカタカナ言葉がふんだんに現れる。それが読者には全く気にならない。また固有名詞の魅力も指摘しておきたい。
3.表記 各5例ずつあげる。
□ひらがな表記の魅力・効果 60首(12.2%)。
すいめんに真鯉の背びれ触るるたび生れてしづかにひらく水の輪
ふるさとの母の手紙の字のゆがみいよいよ激し八十すぎて
雨に咲くくちなし、うつぎ、なつつばき白くさみしき水無月の花
川船にゆられつつ見つ四万十の川面に開く投網(とあみ)すうまい
昨夜まで夜ごと悲鳴のきこえゐし犬亡くなりて雨ふりしきる
□固有名詞の魅力 146首(29.7%)。
木の国の奥ふかく来て〈中辺路(なかへち)〉の滝尻王子跡に立ちたり
マン・レイの良きモデルにて良き愛人(ラマン)モンパルナスのキキのやは肌
ノモンハン戦車部隊の生き残り黒須幸太郎九十一歳
イザナギとイザナミひしと抱き合ひて岩戸神楽の大団円なり
〈鉄の女〉サッチャー女史も痴呆症病むとぞわれのたらちねもまた
□外国語・カタカナ語 127首(25.8%)
「シュラウド」の韻(ひび)きよけれど「死の衣、経(きやう)帷子(かたびら)」
と知ればおそろし
朔太郎のマンドリン曲「機(はた)織る乙女」のどかな大正ロマンのひびき
独り身の息子の部屋の話し声あなケータイは真夜もはたらく
上尾駅改札口のポスターに「AGEO(あげお)がEGAO(えがお)」機知が
あふれる
九条があれどコイズミ派兵せり九条なくば行く先が見ゆ
□漢字の工夫 29首(5.9%)。
職ありし日は電車より瞰(み)てすぎし与野の大榧の根元にぞ立つ
海中に竹逆立てて路とせる〈澪之串(みをつくし)〉これ昔も今も
わが脳の断層写真を左見右見(とみかうみ)して医師は告ぐ「異状はなし」と
街なかで嘶(ひひら)くは多くをみなにて女生徒、婦人等をちこちに立つ
七十をこえたるわれの夢のなか現(い)づるをみなは裸身にあらず