天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

仏像を詠む(4/4)

秋篠寺の伎芸天(webから)

  目を閉ぢてまた目をあけて阿弥陀仏の音とならざる声聞かむとす
                        市村善郎
  梅雨明けの苑渡り来て汗しとど「見返り阿弥陀」に振り返られぬ
                        根本芳平
  弥陀の顔を線に描ける秋の夜のどうにも笑ってしまへり弥陀が
                        根本芳平
  知る人の如しと思ひ見上げゐて誰ともわかぬ伎芸天女は
                       大塚布見子
  伎芸天ます寺にゆかり深うしてけふ紫木蓮(しもくれん)の
  一木(ひとき)納めつ            前川佐美雄


  伎芸天ほのかに笑みて立つ堂のめぐり太々と蝉しぐれふる
                        俵谷晴子
  童顔のかなしきまでに見えきたる伎芸天女にゆるむ唇(くち)あり
                        水本協一


阿弥陀仏阿弥陀如来ともいう。極楽浄土に存在する仏でおもに浄土教で信仰される。日本には7世紀初め頃に阿弥陀仏信仰が伝えられ,平安時代中期以降隆盛した。阿弥陀来迎図も多く描かれた。
伎芸天は伎芸をよくし、五穀豊穣・吉祥豊楽をつかさどり、福徳・技能を授ける天女。
仏教神話で大自在天(=シヴァ神)の髪の生え際から頭から生まれたという。日本では単独での信仰がそれほど広まらなかったこともあり、現存する古像の作例は秋篠寺の一体のみとされる。私も見に訪れたことがあるが、静寂の中の美しさに感動したものである。