天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

幻想の父(2/12)

歌集『日本人霊歌』

■父の風貌や性格を詠んだ歌から見ていこう。
 革命とほくなりつつ今宵わが家には蕗青く煮え父の哄笑
                    『日本人霊歌』
この父は革命などに期待しなかったようだ。蕗を煮て食べる夕食に高らかに笑う父を作者空しく思い軽蔑しているようだ。
 夭折の無頼の父に白緑(びやくろく)の供華(くくわ)の干菓子の黄金分割
                     『緑色研究』
塚本は漢字を多用する歌人である。若くして死んだ父の仏前に干菓子を割って供えた。白緑と言い黄金分割と言ったところに多少とも荘厳する気持が込められている。
 長身の父在りしかな地の雪に尿もて巨き花文字ゑがき
                     『緑色研究』
地上に浅く積もった雪に図形を描くように小便した記憶は、多くの男が持っているが、線幅を一定になるように小便を制御することは難しい。よって長身の父が小便で文字を描いたら花文字のようになったのだ。
 邯鄲の明日は絶えなむ萱原に父が蛮歌のバリトン零(ふ)らす
                     『閑雅空間』
この歌の邯鄲は、バッタ目カンタン科の昆虫でスズムシに似ている。バリトンは、男声のバスとテノールの中間の声域で、華やかな色気がある。明日をも知れない命の虫が潜む萱原で父が蛮歌=挽歌を歌っている。
 嬬恋村に来てうつくしき馬に逅ふわが父も駿馬にこそ肖しか
                    『約翰傳僞書』
嬬恋村のある群馬が、駿馬の産地かどうか知らないが、そこで出会った駿馬に颯爽たる父の姿を想ったのである。塚本は馬を愛する。