天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

死を詠む(26)

「短歌人」2018年7月号

このシリーズが一段落した後に届いた「短歌人」平成30年7月号を見ていると、同人1欄に以下のような気になる作品を見つけた。それで本稿を追加した次第。


  阿ではなく吽でゆくべし吽吽と唸っておればいつか終わるよ
                      森澤真理
  従兄の死知らせる電話一瞬の予感がありてベルが鳴り出す
                      有沢 螢
  突然死の危険横綱級なりしとふ過去形の語の診断結果
                      竹浦道子
  大き病も辛き手術もしらぬまま今し逝きける夫九十一
                    蒔田さくら子
  夫見舞ふと日々通ひ来し病院の受付に最後の面会証を返す
                    蒔田さくら子
  遺されしこと悲しむより安んじぬ先に逝くなと常いひしかば
                    蒔田さくら子
  「尊厳死の宣言書」に実印を捺ししは昨年の六月なりき
                      三井ゆき
  そののちに二枚のコピーつくりたり一枚はわれ一枚は甥
                      三井ゆき


一首目: 阿吽は、梵字の12字母の初めにある阿と終わりにある吽からきている。密教では、この2字を万物の初めと終わりを象徴するものとされる。
二首目: 順番が分らなくなる作りだが、まず電話のベルが鳴り出したのだ。その瞬間、「従兄の死知らせる電話」だと予感したのであろう。親族の誰彼が重篤の病にあることを知っていれば、こうした予感は、誰しもにあり得る。
三首目: 上句の句割れ・句跨り・字余りのために一読では分かりにくい。意味上は、「突然死の危険」が「横綱級なりし」と続く。
四首目〜六首目: 高齢の夫に先立たれた主婦の感情が過不足なく表現されている。普遍的な情景でありながら心にしみるリアリティがある。
七首&八首目: 終活の一端を知る思いで粛然となる。「尊厳死の宣言書」には定型の書式があるようだ。二通作り、一通は本人、もう一通は近親者が所持し、必要が生じたときに医師に提示することになっている。WEBを検索すれば、サンプルがすぐに見つかる。


[追伸]
歌人の今年の夏季集会において、次の詠草が出た。
  遺されてひとりみてゐる夜のテレビなぜかしばしば声あげ笑ふ
                    蒔田さくら子
上記の作品に連なるものであることは明白であり、切なくて言葉を失う。