天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

現代歌枕の発掘(2/8)

塚本邦雄全集

文字への関心     
平安朝以降の和歌は、短冊などにしたためた流麗な筆致を眺めて楽しむ側面があったにせよ、本来、朗読し耳で聞いて理解し韻律を楽しむことが主体であった。漢詩と異なり、大和言葉と平仮名を多く用いた和歌では、漢字の字面や意味に興味をもって歌に詠うということは念頭になかった。それが近代以降、印刷技術の発展に伴い、短歌を目で読み字面を楽しむという新しい面が加わった。特に漢字の入出力を可能ならしめた日本語ワードプロセッサの出現(1978年)以降は、そして漢字の正字までが整備されてからは、短歌における文字への関心が一段と強くなった。
現代短歌で、文字や言葉自体を短歌に意欲的に詠み始めたのは、前衛歌人塚本邦雄であった。例歌は数多いが、いくつかの観点から見ておこう。
同音異義語への注目
 剃刀にたまゆらの虹 知命とは致命とどの邊ですれちがふ
                       『献身』
 たしか昔「憲兵」と呼ぶ化物がゐて血痕と結婚したが
                      『泪羅變』
*異字同義語への注目
 髭・鬚・髯この美しきくさむらの主が死を懸けたる戀ありき
                      『泪羅變』
くちひげ、あごひげ、ほおひげ と生える場所の違いはある。
*珍しい言葉あるいはフランス語との対応による味わい
 おそらくはつひに視ざらむみづからの骨ありて「涙 骨(オス・ラクリマーレ)」
           『約翰傳偽書(ヨハネでんぎしよ)』
 百年先の日本想ひて眠るにも重きかなわが頭蓋骨(オツサ・クラニー) 
           『約翰傳偽書(ヨハネでんぎしよ)』