現代歌枕の発掘(5/8)
地図への関心
古典和歌の時代、都の貴族や女性が歌枕の現場にわざわざ出かけて歌を詠むなど困難であった。歌枕の名所旧跡や植物は、屏風絵などに描かれたので、歌人をそれを見てイメージを膨らませた。地方の情況を知るには、国司の報告や風土記などが参考になったであろうが、地図は普及していなかった。古典和歌の場合、枕詞、被枕、歌枕あるいは掛詞や縁語からの地名への関心が見てとれる。
みくまのの浦の浜木綿百重なす心は思へど直(ただ)に逢はぬかも
万葉集・柿本人麻呂
すみのえの岸による浪よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ
古今集・藤原敏行
なみたてる松のしづ枝(え)をくもでにて霞みわたれる天(あま)の
橋立(はしだて) 詞花集・源俊頼
中世和歌や近世和歌の場合も基本的に、歌枕としての地名が詠まれているが、古今集のような言葉遊びの縁語や掛詞の使用は、少なくなっている。次の正徹の歌のように、歌枕として新しい地名が詠まれている例もある。
ゆきて我が心のおくをかたらばやたとへばえぞが千島なりとも
正徹
ふじのねは山の君にて高御座(たかみくら)空にかけたる雪のきぬがさ
漫吟集類題・契沖
さざなみの比良の山べに花咲けば堅田(かたた)にむれし雁かへるなり
悠然院様御詠草・田安宗武
みくまりの峰ゆ延(は)へたる尾のうへに家むらつづくみ吉野の里
鈴屋集・本居宣長
統一的な全国地図の制作は江戸時代まで行われなかった。日本全土を対象とした地図は、安永8年(1779年)に長久保赤水により刊行された。初めて経緯度線が入った『改正日本輿地路程全図』(通称『赤水図』)がそれである。測量に基づくものではないが、蝦夷地(北海道)を除く日本全土が示されており、経緯度線も含まれていて見やすく、明治初期まで日本地図として広く一般に使われた。なお、伊能忠敬の地図は国家機密とされており、一般には出回っていない。