天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

現代歌枕の発掘(6/8)

『國語精粋記』

明治になって写生による和歌革新を提唱した正岡子規は、地図に大きな興味を持っていたようである。子規庵には、「一束の地 図」という彼が愛蔵した地図の束が残されていた。それには、日本の官製地図の他に、世界地図も五枚含まれていた。俳句に関しては、「地図的観念と絵画的観念」という文章を書いて、与謝蕪村の俳句をそ立場から解釈している。病床の子規が、短歌を詠む際に、どれほど地図を参考にしたかは、作品の詞書きに現れないので不明である。和歌の伝統である屏風絵に代って、絵画や写真をよく見ていたであろう。地名を詠んだ作品を見ると、古典の歌枕の詠み方の域を出ていない。『竹之里歌』に例は多いが、以下に三首のみあげる。
 玉くしげ箱根の空を見てあればふた子の山に雲たちのぼる
 蒲殿がはてにしあとを弔へば秋風強し修善寺の村
 あはの國のあはなく久にいよの國のいよいよ見まくほしき君はも


近代短歌は、「あららぎ」派の写生写実主義が大きな影響を及ぼしたため、現地に赴かず地図だけを見て歌を詠むといった方法は、邪道とされたのであろう。
地図からの発想は、やはり戦後になってからであった。戦後の現代短歌で、わが国の珍しい地名に強い興味を持って詠み込んだ第一人者は塚本邦雄であった。彼の著書に『國語精粋記』があり、表記や読み方に関する綿密な調査結果に基づいて固有名詞論を展開している。地名については、「日本の分縣地圖、道路地圖帖の到る處に、巧まずして洗練され、鄙びつつ花やぎ、神々ししく、いきいきした地名は散らばってゐる。」という一節がある。
 六腑おとろふるときことば冴ゆるとぞ岩手縣江刺郡歌讀(えさしごほりうたよみ)
                           『不變律』
 朝酌(あさくみ)・秋鹿(あいか)・美談(みたみ)・楯縫(たてぬひ)、出雲にて
 水飲めば新珠のあぢはひ               『泪羅變』

 刎頸の友の首(くび)欲(ほ)りひた奔る琉球今歸仁村(なきじんそん)
 運天親泊(うんてんおやとまり)           『詩魂玲瓏』


塚本邦雄は、古典の屏風歌の行き方を現代短歌に持ち込んだ。その典型が『新歌枕東西百景』(毎日新聞社、昭和五十三年)である。歌人・塚本は部屋に籠って美しい地名を織り込んだ短歌を作った。塚本に代わって、サンデー毎日から依頼された吉村正治が、これらの地を訪ね写真を撮ってきた。出来あがったこの本は、地名ごとに一葉の写真と短歌一首を右左見開きの頁で対にしてある。写真の情景と歌の内容とは必ずしも直結していない。