墓を詠む(2/8)
人の身は消えゆくならひ墓石にこもれるこころ我感(し)らむとす
鹿児島寿蔵
萩寺の萩おもしろし露の身のおくつきどころ此処と定めむ
落合直文
我が墓を訪ひ来む人は誰れ誰れと寝られぬままに数へつるかな
落合直文
我さへや遂に来ざらむ年月のいやさかりゆく奥津城どころ
島木赤彦
ひと口を頒ち飲みつつ奥津城の地に沁みゆかす一合の酒
田中成彦
兄を埋めそを泣きたりし母を埋め奥津城に散る花とめどなく
真島正子
韓くにに来むかふ夏のあわただし野山を占めて大き古墳
平福百穂
天つちに清浄(あか)きこころのしるしとぞ人も鳥らも墳に眠りき
生方たつゑ
落合直文は、自分の墓所をどこにするかに関心があり、また自分の墓に訪れてくれそうな人を数えていたという。こうした感覚は、多くの人に共通するのではないか。生方たつゑの歌では、鳥が出てくるところに疑問を抱くが、多分、古墳に埋められている埴輪に鳥もあったのではなかろうか。
個人的には、宇宙の塵にも等しい存在なので、山川草木の中に散骨してもらいたいと思うが、妻や子供の家族はどうする、と考えるとやはり墓所が必要か悩んでしまう。ちなみに人類史上物理学の最高峰アインシュタインは遺言により散骨された。