天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

原爆の記憶(5/9)

原爆ドーム

  鉄骨は原爆ドームの弧を保ち晩夏(ばんか)の青き空をいただく
                    葛原 繁
  軽快に身をひるがへし燕飛ぶ原爆ドームの洞(うろ)よりいでて
                    葛原 繁
  夏空のむなしき青さよみがへる原爆忌また八月十五日
                    葛原 繁
  炭化せる遺体は宙に手をのべて原爆資料館の壁に動かず
                    桑山則子
  原爆とふ死の灰といふ嘆くべき詞消えざらむわが国語辞書に
                   佐佐木信綱
  あやまちを繰返さずといふ言葉碑にきざまれてわれを教ふる
                   初井しづ枝
  原爆ドーム街にし立てり生ける者の傍らに死者寄り添ふを見ずや
                    石川恭子


葛原繁は広島県呉市の出身。東京工業大学電気工学科卒で、戦時中は技術将官だった。
原爆ドームとなっている建物は、大正4年に竣工した「広島県物産陳列館」である。もともと広島県産の製品の販路開拓の拠点として計画された。昭和20年8月6日午前8時15分17秒、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾リトルボーイ」を投下した。投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約600メートルの地点で炸裂した。
原爆投下から73年も経って、広島市内は一新しているので、原爆ドームを見ても原爆の悲惨さは伝わらない。朽ちかけたビルが放置されている印象。