原爆の記憶(7/9)
惨劇を未(いま)だ引きずる兄ありて被爆のはなし禁句のわが家
西岡洋子
少女らは声透き徹り歌ふなり胎内被爆の運命(さだめ)を負ひて
米田律子
全身にガラスささりし被爆ピアノ 六十年へて旋律かなでる
影山美智子
すめろぎの訪ひまさば聞かせん被爆死者の声をヒロシマの灯りみな消し
東 木の實
地底より川面より死者の永遠なる凝視を受けむ今日原爆忌
東 木の實
被爆電車に焦げし腕下がるを見し記憶拭いても老いても消えぬ
河野きよみ
〈非核平和宣言都市〉なるわが街に「被爆柿の木」二代目育つ
半田雅男
広島には被爆したピアノが何台もあったようで、「平和の大切さを伝える」コンサートや朗読会で演奏されている。また被爆した樹木も話題になることが多い。代表がアオギリである。戦中は広島逓信局の中庭(爆心地から約1.30キロメートル離れたところ)に、4本生育していた。1945年8月6日、まともに原爆の熱線と爆風を浴び、4本のうち1本が焼失したものの、残り3本は奇跡的に助かった。翌1946年春には芽吹いた。