敗戦の記憶(1/3)
中国の詩人・杜甫は、757年の春、安禄山の乱に遭い長安に拘禁されていた時に、五言律詩「春望」を詠んだ。その冒頭に「国破れて山河在り」とある。古来、敗戦の詩歌によく引用される。
国やぶれて山河あり今宵さやかなる大空の月を仰ぐに堪えず
佐佐木信綱
おしなべて煙る野山かー、照る日すら夢と思ほゆ。国やぶれつつ
釈 迢空
敗戦の餓え迫る日に生れいでてこの児は乳を吸ひやまぬかも
筏井嘉一
敗戦をはぐらかすものなべて地にひきずり降し批判なすべし
小名木綱夫
椰子林の青きは燃ゆるごとくにて月出づれば敗戦の隊を点呼す
前田 透
新しき世に立つ子らは敗戦といふことを吾より早く忘れむ
松村英一
敗戦といふ感じなく軍うつる荷物のなかに老いわれは立つ
橋本徳寿
前田透は前田夕暮の長男。昭和13年に東大経済学部卒業、後に台湾歩兵第二聯隊補充隊に入隊。さらに中国、フィリピン、ジャワ、ポルトガル領チモール島に派遣された。この歌は、実体験であろう。
[参考]杜甫の詩の特徴として、社会の現状を直視したリアリズム的な視点が挙げられる。親友であった李白の詩とは対照的な詩風。「春望」の全文と書き下し文を以下に。
国破山河在 (国破れて山河在り)
城春草木深 (城春にして草木深し)
感時花濺涙 (時に感じては花にも涙を濺ぎ)
恨別鳥驚心 (別れを恨んでは鳥にも心を驚かす)
烽火連三月 (烽火三月に連なり)
家書抵万金 (家書万金に抵たる)
白頭掻更短 (白頭掻けば更に短く)
渾欲不勝簪 (渾べて簪に勝へざらんと欲す)