敗戦の記憶(3/3)
戦の日、戦に負けし日、顕ちきたり春浅き山の尾根たどりゆく
佐藤美知子
草中に刀をはふりて立ち尽す敗戦の日は暑かりしかな
大越一男
敗戦を迎へたる日に崩しゐしこの斜面いまも草いきれして
吉野昌夫
敗戦の日の熱き記憶また蘇る夕べ見てをり子らの遠花火
高峯正圀
平和かも夏の夜空に咲く花火まためぐりくる敗戦記念日
吉田秋陽
ともし火の明石桜鯛かぶと蒸し緒を締むる間もなき負けいくさ
山埜井喜美枝
古今集仮名序におほきみ、すべらぎとありし人のこゑ敗戦告げき
栗木京子
民衆を信じ民衆の歌を信ず日本に敗戦の記憶続く日
近藤芳美
「敗戦の日」とは、終戦の日の8月15日に同じ。天皇(=すべらぎ)の玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日である。昭和天皇は、歴代の天皇のうち日本の運命について最も責任を感じた人であったろう。最近、元侍従の小林忍氏の日記に昭和天皇の述懐が書かれていたことが公表された。即ち「細く長く生きても仕方ない。・・・戦争責任のことをいわれる。」国民からすれば当然のことであり、もっと早く終戦に持ち込めなかったのか、と天皇の行動に不満を持つのである。
「ともし火の」は、「あかし(明石)」にかかる枕詞。
近藤芳美は、戦前からアララギ同人として活躍していた。戦後の第二芸術論に対抗し、評論『新しき短歌の規定』を発表して、短歌に信頼をおいた。