天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

月の詩情(1/12)

白居易

はじめに
古来、和漢の詩歌において、自然の美を対象とする際に「雪月花」という言葉が使われる。「雪月花」の日本における初出は『万葉集』巻十八に残る大伴家持の歌。「宴席詠雪月梅花歌一首」と題して、「雪の上に 照れる月夜に 梅の花折りて贈らむ 愛しき子もがも」という歌である。すなわち月の明るい折に、雪と花をあわせたものを提示するという遊戯的な設定を和歌の題材としたものである。
一方中国においては、白居易の詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」による語とされている。殷協律は白居易が江南にいたときの部下であり、長安からこの詩を贈ったものである。この詩における「雪月花の時」は、それぞれの景物の美しいとき、すなわち四季折々を指す語であった。
本稿では、俳句において表現される月の詩情について考えてみたい。周知のように俳句の遠源は和歌にあり、自然の機微や人情を述べる詩形であることに変りはない。万葉集以来、和歌でとられた形態「寄物沈思」は、俳句においても変らない。俳句における月の詩情表現を論じるに当って、やはり和歌における扱いをところどころで言及することになる。 本文で対象とする俳句作者は、江戸期からは、芭蕉、蕪村、一茶の三人を、近現代からは飯田蛇笏をとり上げる。飯田蛇笏にする理由は、彼の生涯が自然豊かな故郷の山梨に土着したもので、生老病死の多様な局面が現れているからである。
俳句表現の大まかな変遷を要約すると、芭蕉では和漢の古典を踏まえる、蕪村ではそれに加えて物語絵巻の視点が加わる、一茶においては庶民感覚が濃厚に出る。近代の明治になると俳句革新を先導した子規においては、蕪村の影響を含めて画家的視点・写生が強調される。蛇笏では、古典を意識することは稀になり、身辺の素材の客観写生が主体になる。