天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

月の詩情(2/12)

阿倍仲麻呂碑(西安の興慶宮公園)(web

月の表現
日本の詩歌において月が現れるのは、万葉集からのようである。記紀歌謡には、月が女性の月経に掛けて詠われているのみで、美しさの表現は見当らない。
月が喚起する人間の感情、或は月が象徴するものとして、大きくは幻想と狂気があろう。
ただ日本の詩歌では、西欧と異なり狂気の表現は少なく、内省を促す素材になることが多いようである。特筆すべきは、月の様々な形態が歌語になって和歌や俳句に詠まれていることである。日本の詩歌の特長といえる。それは、俳句の歳時記の季語とその傍題を見ればよく分る。望月、三日月、有明月、芋明月、立待月、臥待月、後の月、おぼろ月 等々。
ところで月を見て湧き起る典型的な感情のひとつは、望郷の念であろう。次の歌はあまりに有名である。
  あまの原ふりさけみれば春日なるみかさの山にいでし月かも
                  古今和歌集阿倍仲麻呂[
この歌は、天平勝宝五年(西暦七五三年)遣唐使の任を終えて帰国する仲麻呂が、送別の宴席において王維ら友人の前で、日本語で詠ったとされる。良く知られているように、仲麻呂は唐で科挙に合格し唐朝において諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果たせずに唐で客死した。現在、陝西省西安市にある興慶宮公園の記念碑と江蘇省鎮江にある北固山の歌碑には、この歌を漢詩の五言絶句の形で詠ったものが刻まれている。
和歌において月をこよなく愛した歌人の代表は、西行であった。一般に西行は、花と月の歌人と言われている。西行の月の歌は、芭蕉や蕪村の俳諧(俳句)に大きな影響を与えた。本歌取の例を以下にあげる。俳句の左側に本歌の西行作品を『山家集』から示す。例が多いので、それぞれ一例ずつにとどめる。


     雲折々人をやすむる月見哉        芭蕉
 なかなかに時々雲のかかるこそ月をもてなす飾りなりけれ   『山家集
     耳さむし其もち月の頃留(どま)り     蕪村
 願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ    『山家集