月の詩情(3/12)
古典に拠る
江戸期の俳諧と明治以降の俳句との大きな違いは、前者では和漢の古典を大いに採り入れているのに対して、後者ではほとんどそれが見られないという点である。俳諧の時代には、連衆による歌仙制作が中心であったが、俳句の時代には個人主体の客観写生が普及し、歌仙形式が見捨てられたという背景もある。
ここでは和漢の古典を踏んだ俳句の例を挙げる。特に芭蕉と蕪村に多い。
□謡曲を踏む
月やその鉢木(はちのき)の日のした面 芭蕉
芭蕉の弟子・沾圃(せんぽ)の父・古将監の能『鉢木』の舞台を回顧して詠んだ
もので、古将監が演じたシテ佐野源左衛門常世の面なしの顔が思い出される、という。した面は
「直(ひた)面」の 江戸なまり。
座頭かと人に見られて月見かな 芭蕉
狂言「月見座頭」に掛ける。狂言の座頭は、一人の月見客から優しくされた後、突き飛ばされ
杖を放り投げられる。人間の二面性を描く凄まじい演目であり、句にも月の不気味な面が反映
されている。
壬生寺の猿うらみ啼けおぼろ月 蕪村
壬生狂言「靱猿(うつぼざる)」を踏む。大名が猿の皮をよこせと猿引きを脅す場面がある。句は
「おぼろ月」ととり合せることで不合理な非情さを表現している。
鬼老(おい)て河原の院の月に泣ク 蕪村
河原の院とは、源融の邸宅。謡曲「夕顔」「融」を踏む。句の鬼は、鬼籍に入った源融を差し、
昔住んだ邸宅の空の月を見て栄華を偲んで泣く、という意味であろう。月の醸す情緒を活かした
句である。