天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

月の詩情(11/12)

弓張月

     夏月に古潭の窗は童らの燈           『雪峡』
  昭和二十五年・北方覉旅の諷詠。北海道旭川市神居古潭
  夏の夜の情景か。
     鳴神の去る噴煙に三日の月           『雪峡』
  「信濃浅間」の前書。浅間山の噴煙が三日月のかかる夜空に
  起ち上る情景が鮮やか。
     春の月雲洗はれしほとりとも        『家郷の霧』
  袋田観光。夜になり春月が、袋田の滝辺りからのぼったのだろう。
  「雲洗はれし」という措辞からの理解である。
     春の日は無限抱擁月をさへ         『家郷の霧』
  東京駅から一路西下す。春日が遍満する空に浮かぶ月の情景を、無限抱擁と感受した。
     月てらす日の没るなべに比叡の春      『家郷の霧』
  京都洛北に遊ぶ。仏教の聖地比叡山にも春が来て、没日の空に月も出ている。
     花の月全島死するごとくなり        『家郷の霧』
  魚山と長島の内(島内一泊)。動物の気配が全くしない桜の花と月の静謐な情景。
     象潟の弓張月や曇れども          『家郷の霧』
  秋田より日本海沿いに新潟への車中。はるかに芭蕉の旅を偲んだか。
     初月に京女をつれて眞葛原          『椿花集』
  京都には晩年になってからも行った。初月は陰暦八月初めのころの月。眞葛原は、
  東山区北部の円山公園の一帯を差す。初月、京女、眞葛原の取合せが艶めかしい。


□病中にあって
 昭和三十六年三月(七十六歳)に負傷し、以後殆んど病臥の状態になった。
     ねむる間に葉月過ぎるか盆の月        『椿花集』
 前書に「病中」とある晩年(昭和三十六年)の作。身体は不如意でうたたねに時間が
 過ぎてゆく。が頭脳はまだ明晰であり、盆の月に感じる時節の経過に、切歯扼腕する思
 いが表現されている。