目を詠う(4/6)
昼の床に眼(まなこ)をとぢて落着けどなほ鎚(つち)の音の
忘れかねつつ 松倉米吉
壕(がう)の中に坐(ざ)せしめて撃ちし朱占匪(しゆせんひ)は
哀願もせず眼をあきしまま 渡辺直己
白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り
斎藤 史
借金をかへすひたぶるを虚しと言ふ虚しと聞きて眼をしばたたく
山本友一
むらがりてたゆたふ鷗窓に見え今日も朝より眼は充血す
近藤芳美
口荒く出でゆく夫よあはれ背にわれの憎悪の目を貼りつけて
中城ふみ子
風景は退(しさ)ることなしわがひとみ磨けとひかる秋の
山脈(やまなみ) 来嶋靖生
見ることをやめてはならぬ瞳より出づる涙も泉と呼ばむ
築地正子
松倉米吉は新潟県に明治28年に生まれた。高等小学校を中退し,上京して鍍金工場などではたらきながら,古泉千樫に師事し「アララギ」に入会。労働者の生活体験をうたい,貧窮のなか,大正8年に病死。25歳であった。
渡辺直己は奉職中(広島県呉市立高等女学校の教師)に昭和12年、日中戦争のため応召され、中国に送られる(陸軍少尉)。 河北省天津市、山東省済南市、湖北省漢口などに転戦したが、発熱のため入院し、その後は再び天津市に警備にあたった。 昭和14年8月、中国河北省天津市にて洪水により死亡した。
中城ふみ子は北海道帯広市の出身。19歳のときに国鉄に勤務していた鉄道技師の男性と見合い結婚。5年のうちに4人の子供の母になった。しかし結婚生活は幸福なものではなく、所長に栄転していた夫は汚職に関与し左遷され、女性問題(妾)も発生するなど、生活は乱れていった。そのため昭和26年に夫と協議離婚。乳癌を病み手術をするも他に転移し、ついに死に至った。31歳であった。