目を詠う(6/6)
かけ足に春過ぎゆきて若き娘(こ)の髪もひとみも風にとまらぬ
五島美代子
母ひとりにうち明けること持ちて来て子の瞳(め)ひたひた
われに近寄る 五島美代子
わが目のなかに小さき指をつきこみて柔らかに児の撫でむとすなり
五島美代子
向日葵と黒きひとみの少女佇ちゐしかの蔭も凍みゐたり。苑
塚本邦雄
美しき眸の標的となりてわがしづかに白きタクト振りゐつ
犬飼志げの
一日をみひらきし瞳(め)よゆふぐれはうすら明りの水に近づく
雨宮雅子
埴輪の目もちて語れる人と人 砂丘(をか)円くめぐれる中
葛原妙子
いつの世も人の眸澄みしと思わねどうつろにくらし埴輪のまなこ
武川忠一
五島美代子は、成長する我が子に対する愛情、喜びなどを歌にし、「母の歌人」と呼ばれる。なかでも東京大学文学部在学中に自殺した長女・ひとみを悼む痛切な歌には胸を打たれる(『母の歌集』)。「空が美しいだけでも生きてゐられると子に言ひし日ありき 子の在りし日に」「逝きし子は蒼空に咲くばらにして死の誘惑の甘きことあり」
犬飼志げのの歌で、「美しき眸」の持ち主は、白きタクトを注視する楽団員である。
葛原妙子や武川忠一の歌は理屈に合わない、のではないか。そもそも埴輪には眼窩はあるものの、目(瞳)は無い。目の位置を示す空洞があるのみ。と言ってしまっては詩にならない。どのような暗喩として解釈するか。