天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

スミレと薺(なづな)(6/10)

エンゼル・フィッシュ

俗語や口語、漢語(和製音韻)の使用も俳諧の大きな特徴であり、芭蕉も盛んに用いた。時代の違いはあるが、展宏の句にも大変多い。なお、漢語とは別の外来語については、芭蕉には、鎖国の時代でもあり、少ない。一方、展宏の場合は現代俳句らしく、西洋語(和製音韻)の使用が急増している。例は多いが、ここではそれぞれ二句ずつにとどめる。
A 俗語や口語使用の例
        あら何(なん)ともなやきのふは過(す)ぎてふくと汁(じる)
                                芭蕉
        飯(めし)あふぐかかが馳走(ちそう)や夕涼(ゆふすずみ)
        聴いてごらん朝ひぐらしが鳴いているよ      展宏
        いろいろとあらーな夏の終りの蝉の声
B 漢語使用の例
        寝(ね)たる萩(はぎ)や容顔無礼(ようがんぶれい)花(はな)の顔(かほ)
                                芭蕉
        秋海棠(しうかいだう)西瓜(すいくわ)の色(いろ)に咲(さ)きにけり
        「不許葷酒入山門」秋薊             展宏
        炎天を百骸九竅(ひやくがいきうけう)運ぶなり
「百骸九竅」は人体のことで、芭蕉の『笈の小文』に「百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ」がある。
C 西洋語使用の例
        かぴたんもつくばはせけり君(きみ)が春(はる)   芭蕉
        阿蘭陀(おらんだ)も花(はな)に来(き)にけり馬(うま)に鞍(くら)
        エンゼル・フィッシュ床屋で眠る常識家      展宏
        ゴルファーらヘアピンのごと枯芝に
擬人法も展宏俳句の特徴の一つだが、俳諧でも盛んに用いられた。三句ずつ例をあげる。
        さみだれをあつめて早(はや)し最上川(もがみがは) 芭蕉
        六月(ろくぐわつ)や峰(みね)に雲(くも)置(お)くあらし山(やま)
        秋(あき)の夜(よ)を打崩(うちくづ)したる咄(はなし)かな
        膝揃へたる前山の薄紅葉             展宏
        いつのまに海はやつれて青蜜柑
        鍋釜やころがりまはる春の雷
また見立て・比喩もよく使用している。ここでも三句ずつ例をあげる。
        梅柳(うめやなぎ)さぞ若衆(わかしゆ)哉(かな)女(をんな)哉(かな)
                                芭蕉
        霰(あられ)まじる帷子(かたびら)雪(ゆき)はこもんかな 
        前髪(まへがみ)もまだ若艸(わかくさ)の匂(にほ)ひかな
        両頬に墨つけふくら雀かな            展宏
        襟巻や毛皮ぞろぞろ念仏寺 
        露地露地を出る足三月十日朝 
展宏作品では、見立てが巧みであり分り易い。ちなみに、「襟巻や」の句の「毛皮」は人の換喩、「露地」の句の「足」は人の提喩である。
展宏は固有名詞の言葉の響きとそのものの形態とをうまく組み合せて本質を詠んでいるが、いかにも俳諧らしい。芭蕉にはあまり例を見ないので、展宏独自の工夫である。
        鶏頭に鶏頭ごつと触れゐたる
        煩悩とも忘恩とも除夜の鐘 
        破れ傘ですよですよと葉をもたげ
        山茶花のさざんくわと咲きこぼれたる
        てつせんと名を響かせて咲きにけり
        うれしさのくわゐくわゐと出てくるわ
「除夜の鐘」の句では、「煩悩」「忘恩」の響きが、鐘の音に通じている。他の句は、説明が難しいが、いかにも雰囲気が現れていて納得がいく。
なお、掛詞(懸詞)や縁語は、和歌でよく使用され、俳諧でも主要な修辞法のひとつなのだが、展宏の句には多くない。また芭蕉の発句には主客応答の連句を想定してか呼びかけ表現が多いが、展宏の俳句には少ない。