天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

スミレと薺(なづな)(7/10)

ミノムシ

二 古典を踏まえる
次に俳諧の大きな特徴として、古典文学を踏まえる(本歌取りをする)ことがある。
貞門派の俳諧では、連歌で必要とされた源氏物語伊勢物語などの知識は必須であった。その後に庶民の間に広まった談林派の俳諧では、古典文学に代って能楽の詞章である謡が、「謡は俳諧の源氏」といわれるほどに中心の教養になった。貞門派や談林派の時代の芭蕉は、物語文学、随筆(枕草子徒然草など)和歌集、漢詩集、能などを踏まえた数多くの発句を作った。川崎展宏も同様な方法をとった。彼の場合には、日本の神話を踏まえたり枕詞を組み入れたりすることも多い。両者からそれぞれ五例をあげよう。
        けふの今宵(こよひ)寝(ね)る時(とき)もなき月見(つきみ)哉(かな)
                              芭蕉
伊勢物語』二十九段の歌「花に飽かぬ歎きはいつもせしかども今日のこよひに似る時はなし」に拠る。「似る」と「寝る」の言い掛け。
        蓑虫(みのむし)の音(ね)を聞(きき)に来(こ)よ艸(くさ)の庵(いほ)
                              芭蕉
枕草子』の「蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐しき心あらんとて、…八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり」に拠る。ちなみに、高浜虚子「蓑虫の父よと鳴きて母もなし」の句も同様である。
        秋風(あきかぜ)や藪(やぶ)も畠(はたけ)も不破(ふは)の関(せき) 
                              芭蕉
新古今集』藤原良経(関路ノ秋風)の歌「人住まぬ不破の関屋の板廂荒れにしのちはただ秋の風」を踏む。
        わた弓(ゆみ)や琵琶(びは)になぐさむ竹(たけ)のおく
                               芭蕉
王維「竹里館」(独り坐す、幽篁の裏、琴を弾じ復た長嘯す。深森、人知らず。明月来たりて、相照らす。)に拠る。
        月(つき)ぞしるべこなたへ入(いら)せ旅(たび)の宿(やど)
                               芭蕉
これは、「鞍馬天狗」の謡の文句「奥は鞍馬の山道の花ぞしるべなる、こなたへ入らせ給べ」を踏んだもの。
以下には国文学を専攻した川崎展宏の俳句をあげるが、神話や古典文学、歌枕などを踏まえた作品が多い。
        わすれては夢かとぞ思ふ真桑瓜   
この句の本歌は、伊勢物語・第八十三段(小野の雪)に出て来る歌「わすれては夢かとぞ思ふおもひきや雪ふみわけて君を見むとは」である。
        遠近(をちこち)や妻争ひの山笑ふ       
大和三山(香具山、耳成山畝傍山)について、香具山と耳成山が、畝傍山を妻にしようと争ったという伝説を踏まえている。この伝説は、万葉集にも詠まれている。句は、あちこちに見える大和三山の明るい春の情景を詠んでいる。
        防人の多摩の横山冬霞       
万葉の時代、北九州防衛のために、防人として召集された東国の男たちは、武蔵国府に集結し、多摩の横山を越えて行った。万葉集に「赤駒を山野に放(はか)し捕りかにて多磨の横山徒(かし)ゆか遣らむ」という歌がある。展宏には、多摩の横山を詠んだ句が他にいくつもあるが、特別の思い入れがあったのだろう。
        せりなづな御形といひて声の止む  
歌道師範の冷泉家に「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ 春の七草 」という和歌が伝わっているが、作者は不詳。なお万葉集には、秋の七草を詠んだ山上憶良の有名な和歌があるが、春の七草は未だ決まっていなかったため、詠み込んだ歌はない。それらが決まったのは、南北朝時代に四辻善成が『河海抄』で七種の草を選んだのが最初という。句は、近所の子どもが七草を唱えていて、途中でやめた情景。
        上路越(あげろごえ)青い団栗何になる      
「山姥の里」と言われる青海町上路集落は、「越後と越中の境にある」と世阿弥謡曲「山姥」にうたわれる通り、新潟県富山県との県境にある。句の座五は、謡の台詞「これがおそろしき山姥になると申す」を導く。謡曲「山姥」は、展宏がとりわけ好んだ曲目で何度も読んだという。「姥ひとり色なき風の中に栖む」という句も作っている。
展宏俳句には、枕詞を組み入れたものが多い。これは、芭蕉にはほとんど見られない。枕詞として、以下のように「あら玉の」「鶏が鳴く」「ともしびの」「玉くしげ」「むらぎもの」「たたみこも」などを使用している。万葉の風味を出す効果がある。
        あら玉の年立つて足袋大きかり
        鶏が鳴く吾妻に欅もみぢあり
        ともしびの明石の宿で更衣
        玉くしげ箱根のあげし夏の月
        むらぎもの心くだけし牡丹かな
        畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の丈夫(ますらお)より賀状